その理由はヒトの幼児の大きな頭部に潜んでいる。
ヒトの子どもは頭でっかちで生まれてくる。
そして当分の間は身動きもできず、ただわあわあと泣くばかりのやっかいな存在である。しかしチンパンジーなどほかの類人猿は、生まれるとまたたくまに、母親のおなかにぶら下がり手間がかからない。

実験では、天井からぶらさがったバナナをとるのに、チンパンジーの子どもはすぐにそばにあった台を持ってきて駆け上がるが、ヒトの子どもは、飛びついたり、うろうろするばかりで、一向に手が届く方法がわからない。

この違いは、ヒトの脳は、大人と同じ大きさで生まれてくるが、まだ「配線ができていない」からだとわかっている。
九ヶ月の胎児の段階で、すでに数十億個に及ぶ脳細胞は完成した状態になる。ヒトは早産で生まれてくるとスイスのポルトマンは言う。生後一年間は子宮外胎生期間と言い、ほかの動物ならまだ胎内にいるはずなのに、早く出てきて、おっぱいを吸って育つ。つまり0歳児とは、本来なら母親のおなかにまだいる、あとの十二ヶ月分早く生まれてしまう。だからヒトの幼児は本来なら「とつきとおか」ではなく、二十二ヶ月が本当の胎内にいる時間なのだ。ほかの動物の子どもが十分に育ってから生まれてくるのに対して、ヒトの赤ん坊は、出てきてから一年間を、無能な状態で、母親を見つめながら成長する。

それは脳のネットワーク、脳細胞をつなぐ配線が、まだできていないためだと時実利彦は説明する。

この最も密度の高い配線時間が生まれてから三歳児までなのだ。




『ヒトはいかにして生まれたか』所収 時実利彦


優れた刺激がシナプス(配線のつなぎ目)の成長を促し、優れた一個の細胞からは約8000ものシナプスがでてくると言われる。


「脳の発達というものを見てみますと、ここに示していますように横軸は0歳から20歳まで取ってありますけれども、縦軸の100がちょうど20歳の所を示してあります(図2)。ここに4つのコラムがありまして、これは脳神経細胞を染めた物です。これは生まれてすぐの赤ちゃんの脳を染めたものですけれども、これを見てお分かりのように、これがI層の神経細胞、これがII層で、これがIII層です。これがIV層で、顆粒状になっています。この木の根っこみたいな形をしている。これがV層の神経細胞です。これがVI層です。わずか2.5から3ミリくらいしかないんですけれども、このように6層構造を成して、そしてV層の神経細胞は神経線維を送っています。そして手足を動かすというようなことをやっているわけです。ですから、赤ちゃんというのはおなかの中にいても、生まれても手足は動くのは、そういう意味でV層の神経細胞がよく発達しているのです。
 
図2 脳の発達の状態

 
 しかしII層、III層の神経細胞はほとんど枝が出ていない。これは脳の中でほかの神経細胞と情報をやり取りするための神経細胞です。ですからこれは電気の配線で言うと、まだ配線ができあがっていない状態を意味しているのです。そしてこれが2歳くらいになりますと、枝があちこちに伸びて、脳の中で情報をやり取りしていきます。脳の神経細胞を染めてみますと、このように樹状突起という枝が染まります。
 そしてこの発達曲線を見てみますと、大体3歳で70パーセントくらい発達するといわれています。ですから「三つ子の魂百まで」という格言がありますように、3歳までの育児というのが非常に大切な時期であります。」

「われわれの五感と言われる、耳、目、味覚、嗅覚、皮膚などからの情報がありますが、その中でも、視覚情報が大体90パーセント使われているわけです。ですから、おぎゃあと生まれた赤ちゃんが家庭でのテレビのたれ流し状態で朝から晩まで見ますと、赤ちゃんは完全におかしくなります。要するに脳がいろいろなことに対応できる神経回路が組み上がらないんです。ですからスキンシップが大切であり、そして語りかけが大事だということです。赤ちゃんと会話することです。赤ちゃんは分からないと思っても、それを聞くことによって脳の神経回路が組み上がっていくのです」



語りかけることが赤ん坊に多大な情報を与え、脳細胞はどんどんつながりはじめるのである。


これはおそらくアルツハイマー型認知症患者にも応用可能な説ではないかと感じる。
手を握り話しかけるだけで患者は明白に笑顔を取り戻し、語り始める。