アナトリア Anatolia のキュルテペ Kültepe 出土の粘土板文書(紀元前2000年頃)によれば、アムートゥ)の価値は金の八倍、銀の四十倍であったと言う。

そのアムートゥの鉄を世界に拡散させたのはアッシリア人である。カネシュのカールムで購入していた。エーゲ海から世界へという製鉄技術の歴史視点は、今後はもっと歴史学にとって重要になるだろう。

ただの鉄がこれほど高価だった理由のひとつに、それが隕鉄だったからではないかという魅力的な説がある。隕石に含まれる鉄の特徴に、高いニッケル含有率がある。しかし、これまで鉄鉱石分析では、ニッケル成分まで分析したデータがないので、比較できないという困ったところがある。


隕鉄



高ニッケル含有率の鉄鉱石の産地は、古代鉄器関連では、ギリシア東岸、エーゲ海諸島が最高で1%、メキシコで0.79%、南ボルネオ、セレベス、南ロシア、オーストリアにも含有率は低いが何ヶ所かが見つかっている。ナイル川上流は推定候補地になっているが、まだデータはない。

日本では、まず隕鉄そのものが少なく、資源的にまず古代ではありえない話である
(窪田蔵郎 2013)。

隕鉄ではなく、人工鉄だったと言う説もある(ポーランド・ピアツコゥスキー)。彼は多くの古代隕鉄が、クロアンサイトという鉱物を添加した加工鉄であると主張している。


ウィドマン・シュテッテン構造鉄
鉄とニッケルの冷却温度の違いで偶発的に出来上がる結晶。
研磨すると美しく乱反射し、装身具にも使える。

隕鉄は100万年に数度の割り合いでゆっくりと冷却してできたと考えられる。
主に鉄(Fe)とニッケル(Ni)の合金からなり、Niの含有量によりさらに細分されている。オクタヒドライト中の大部分のものは、隕鉄の表面を磨き、薄い酸で溶かすと、きれいな筋模様が出る。これは発見者の名をとって "ウィドマン・シュテッテン構造 Widmanstatten pattern" と呼ばれる。 特徴的な模様は結晶形の異なる鉄(ニッケル含量6%以下)とアルファ鉄(ニッケル含量13%以上)の作り出す美しい格子状の組織である。http://www.nihongo.com/aaa/jewelry/j5inseki/meteoritebunrui.htm
 
*隕鉄のニッケル成分はパーセンテージによって三つに仕分けされており、プライオールによれば6%以下はヘクサへドライド、12%以上がアタキサイト、7~12%がオクタヘドライドと呼ばれている。
※イギリスの研究者・ プライオールは、隕鉄や石鉄隕石の数は、隕石到達数の12%~14%程度であるとしている。



http://www.nihongo.com/aaa/jewelry/j5inseki/Widmanstatten_pattern.jpg


アムートゥの隕鉄が珍重された理由には、そこにはガーネットやざくろ石のような輝石がまざっており、それが高貴な女性たちの欲望をかきたてたからだとも言われるが、これまで隕鉄だとされてきた古代鉄器でも、昨今は、それがあとになって精緻であればあるほどに見直しがされはじめ、否定された遺物も出ている。




世界最古の製鉄工人
これは以前も書いたが、ヒッタイト人ではなくて、ハッティ人つまり聖書が言うヘテ人である。(古代製鉄分析はこのブログではもうはるか昔にやりつくしたが、少しの新発見があって訂正されはじめているので、また書くことにした。)


一説に、トルコ南部ではフルリ人と言われる。彼等は別名ウーリアン(Hurrians)という民族で、「ウル」=メソポタミアのウル第3王朝の構成人員である。

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「前2千年紀オリエントの歴史と文化に重要な役割を果たした民族。メソポタミアウル第3王朝の史料にすでにフルリ人の人名や地名が現れる。チグリス川左岸やザグロス山脈に居住していたと推定される。」  
ブリタニカ国際百科事典                                  


「あらゆる種類の皮革、宝石職人からの金・銀、鍛冶屋からの銅の受け取りがある。ある部屋では溶鉱炉をひとつ発見し」というウル第三王朝時代の記録が存在する。

しかし、ここでは実は鉄鉱石はあまり採れないうえに、地形も低湿地で鉄の還元作用には不向きと考えられ、この一説は『ウル』を書いたウーリーの勝手な製鉄存在の思い込みであろうと考えられる、ウーリーが書いた「バグダッドの南方のジャムダト・ナスルという町で出たという赤鉄鉱は、ネックレスや印章のために使われたものだと考えられている。「ウル」そのものが100年も前に書かれた書物なので、当時の人々に、果たして鉄の詳細成分分析ができたかどうかも怪しい。まして鍛冶用の炉と精錬用の炉の区別がついたとも考えにくいものがある。

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スラグ(鉄滓 てっさい)は一見、ただの石ころである。


金属関連の遺物は、往古の研究家や探検家にとって、ほとんどさびついたガラクタだった時代が長く、そのほとんどは遺物とすら認識されなかったものすらある。それは日本の考古学者でもそうで、古い時代にほったらかされ、無視された鉄の塊が、いまだに山奥にごろごろしている遺跡すらあるのだ。それらはあきらかにスラグであろう。宮城、福島、岩手などの阿武隈山脈の中に、縄文~平安時代ころの製鉄遺跡があるが、ほとんどがそういう扱いでほったらかしになっており、蝦夷製鉄の研究はいまだに立ち遅れているという例も多い。


次回、蝦夷の製鉄はどこまで遡れるか。





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