日本の原子力発電所一覧
日本の原子力発電所



         
・柏崎刈羽原子力 1~7号新潟県柏崎市青山町16-46
   旧国名  越中国古志郡(平安・三嶋郡)刈羽郡刈羽村   
※地名青山は墓所、三嶋は瀬戸内、刈羽は鉱山と祭祀の地名

・東海 第一茨城県那珂郡東海村白方1-1
           常陸国那珂郡白方石神白方村字澤頭(豊受大神宮)・那珂川沿線

・東海 第二茨城県那珂郡東海村白方1-1 
           常陸国那珂郡・那珂川沿線
    ※白方は「新羅から」、那珂=多氏

・泊 1~3号北海道古宇郡泊村大字堀株
            後志(くなしり)国古宇(ふるう)郡堀株
    ※泊は日本海から来た地名

・女川原子力 1・2号宮城県牡鹿郡女川村塚浜字前田1
         陸奥国(陸前国)牡鹿郡女川

・福島第一原子力 1~6号福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22
            岩城国楢葉(しねは)郡夫沢字北原
明治29年標葉郡と楢葉郡が合併双葉郡

・福島第二原子力 1~4号福島県双葉郡楢葉町大字波倉字小浜作12
    (敷地の一部は富岡町) 岩城国楢葉郡波倉字小浜作  
     ※岩城国造は多氏同族。
 
・浜岡原子力 1~4号静岡県御前崎市佐倉5561
遠江国小笠郡大字新野 
※笠は吉備笠臣
     
・志賀原子力 1号 石川県志賀町赤住1 
能登国羽咋郡志加浦村赤住
志賀は奴国海人地名、羽咋も、赤は水銀や銅

・敦賀 1~2号 福井県敦賀市明神町立石前
越前国敦賀郡明神立石猪ヶ池 

・美浜 1~3号 福井県三方郡美浜町丹生66号川坂山5番地3 
越前国遠敷(おにゅう)郡上中(かみなか)丹生川坂山
※遠敷・丹生=水銀鉱山地名 中=那珂・多氏地名

・高浜 1~4号 福井県大飯郡高浜町田の浦1
若狭国大飯郡高浜神野浦

・大飯 1~3号福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1
若狭国大飯郡大飯字吉見
※「飯」は多氏地名

・島根原子力 1・2号島根県松江市鹿島町片句654-1
出雲国八束郡(島根郡と秋鹿郡一部)大字恵曇?字片句?      

・伊方 1~3号愛媛県西宇和郡伊方町九町コチワキ3-40-3
伊予国宇和郡矢野保内郷伊方浦?

・玄海原子力 1~3号佐賀県東松浦郡玄海町今村
肥前国松浦郡値賀(今村)村小加倉?      

・川内原子力 1・2号 鹿児島県薩摩川内市久見崎町字片平山1765番地3 
薩摩国薩摩郡高江村大字久見崎

※原発・発電所以外に、ほかに処理場などの二次施設もある。
   



 

各地の渡来伝承と遺跡(●印に秦氏痕跡)

設置者・発電所名・号炉・所在地・炉型・出力・運転開始・備 考
●日本原子力発電 東海 ? 茨城県那珂郡 GCR 16.6 66/07/25 97年度で廃炉予定
●日本原子力発電 東海第二 ? 茨城県那珂郡 BWR 110.0 78/11/28 
※秦氏眷属だった長岡氏
「長岡氏は古代豪族のひとつ。蓋氏の一族、長岡忌寸
長岡連は渡来人系秦氏の一族。本姓不詳。常陸国那珂郡長岡より出る。文明年間(1469年 - 1486年)に長岡小六が江戸氏と戦い戦死した。なお、常陸国に家紋を丸に梅鉢とする家系あり。」参考Wiki長岡氏

地名を同じくする高知県長岡には、「秦川勝は任を土佐に受け、辞任後土佐国長岡 郡宗我郷におり、その子孫がその村の名を取り、長曽我部氏と称した」とある。このほか「なか・なが」地名と秦氏由来の海人族とは深い関係性がありうる。

また那珂国造は多氏枝族である。

※式内社 常陸國久慈郡 靜神社 名神大
  茨城県那珂市静
  御祭神 建葉槌命  
相殿神 手力雄命 高皇産霊命  思兼命
「建葉槌命(タケハヅチノミコト)は別名、天羽雷命(アメノハヅチノミコト)。
天羽雷雄命・天羽槌雄神とも書きます。
靜神社のHP、靜神社を解説したサイト、その他どこを見ても、御祭神「建葉槌命」は、倭文(しづり、しどり)の祖で、織物・機織りの神、と書かれているだけです。
社名の「静」は、「倭文」からの転訛と考えられています。『常陸風土記』久慈郡には、常陸において初めて機織りをした場所が当地の「静織の里」であると書かれています。

古代において、機織りの技術集団とは即、秦氏をさしますが、常陸では何でも中臣氏と関連づける悪癖があるようです。風土記を含め、常陸のことを書いたHPを見ても、秦氏との関連は掴みきれていません。

倭文(シドリ)布は、古代、「志豆波多(シヅハタ)」または「阿衣(アヤ)」といったそうです。「波多」は「秦」の別表記ですし、「阿衣」とはいかにも「阿波の衣」ではないですか?」

※アヤは綾人部由来であろう。


●日本原子力発電 敦賀 1号 福井県敦賀市 BWR 35.7 70/03/14 
●日本原子力発電 敦賀 2号 福井県敦賀市 PWR 116.0 87/02/17 
※ 敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、 「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、 小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。これらに 加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども 新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。


?北海道電力 泊 1号 北海道古宇郡 PWR 57.9 89/06/22 
?北海道電力 泊 2号 北海道古宇部 PWR 57.9 91/04/12 


●東北電力 女川(おながわ)原子力 1号 宮城県牡鹿郡 BWR 52.4 84/06/01 
●東北電力 女川原子力 2号 宮城県牡鹿郡 BWR 82.5 95/07/28 
※「陸奥国柴田郡新羅郷が『和名類聚抄』に見え、列島北限の事例となる(現在の宮城県柴田郡川崎町に比定)。【事例1】
8世紀中葉に、陸奥国府の多賀城へ須恵器供給を行った硯沢窯跡群で、韓半島系の工人が活動した。このことを示すA1a号窯跡は、周辺窯と全く異なる半地下式構造をなし、同時期の韓半島に類例の認められる独特な窯道具が出土している(図1)註1)。」
http://www.culture.fks.ed.jp/iseki/A05/f09.html



●東京電力 福島第一原子力 1号 福島県双葉郡 BWR 46.0 71/03/26 
●東京電力 福島第一原子力 2号 福島県双葉郡 BWR 78.4 74/07/18 
●東京電力 福島第一原子力 3号 福島県双葉郡 BWR 78.4 76/03/27 
●東京電力 福島第一原子力 4号 福島県双葉郡 BWR 78.4 78/10/12 
●東京電力 福島第一原子力 5号 福島県双葉郡 BWR 78.4 78/04/18 
●東京電力 福島第一原子力 6号 福島県双葉郡 BWR 110.0 79/10/24 
●東京電力 福島第二原子力 1号 福島県双葉郡 BWR 110.0 82/04/20 
●東京電力 福島第二原子力 2号 福島県双葉郡 BWR 110.0 84/02/03 
●東京電力 福島第二原子力 3号 福島県双葉郡 BWR 110.0 85/06/21 89年再循環ポンプ事故
●東京電力 福島第二原子力 4号 福島県双葉郡 BWR 110.0 87/08/25
※双葉町中通に清戸迫(きよとさこ)横穴群などの海人系装飾古墳。

「会津若松市上吉田遺跡から「秦人」(図5左)、同市東高久遺跡から「秦□人カ」の墨書須恵器坏が出土している。周知のように、秦人は、「初期の有力渡来系集団の秦氏と同族、もしくは従属していた渡来系集団」であり(吉川弘文館1990)、それらの墨書坏には、「今来」と刻書横瓶とほぼ重なる年代観が与えられる。 このことから、「今来」の外来者は渡来から数世代を経た秦人とみられ、会津郡衙周辺の関連資料の分布の広がりから、一定の人数が移住したと考えられる。

 また、そのルートは、「秦」の墨書土器が「今来」の刻書横瓶の生産窯と近距離の製鉄遺跡で認められ(新潟市新五兵衛山遺跡)、彼らが北陸経由で移住したことが証明できる」
http://www.culture.fks.ed.jp/iseki/A05/f09.html

「福島県双葉郡浪江町大字井出に「太刀洗(たちあらい)」という字がある。そこには太刀洗遺跡という遺跡があり、常磐自動車道の工事に伴って平成15年に発掘調査が行われた。その結果、炭焼窯の跡や廃滓遺構が検出され、後者からは約4tの鉄滓を中心に、製鉄炉体破片、羽口、木炭等が出土している。伴出した土師器片からこの遺跡は平安時代前半頃の製鉄遺跡と判明した。

  この遺跡がある「太刀洗」という地名の由来は調べ切れていないが、ここにも太刀洗い型のモチーフをもった説話が残されていたのではあるまいか。

  この他、太刀洗い型のモチーフをもつ説話は九州地方の北部に多く残されている。『日本伝説大系』には福岡から7、大分から3、佐賀から2、このタイプの説話が収録されている。これらはおそらく、正平14年の大保原合戦で、太宰少弐と戦った菊池武光が、血刀を川で洗ったという有名な伝承に附会されたものだろう。現在、武光が血刀を洗った川は太刀洗川と呼ばれ、福岡県三井郡太刀洗町を流れているが、残念ながらまだ私はそのきんぺんで、古代に製鉄や鍛治が行われていたことを感じさす伝承なり、考古学上の発見なりがあったという情報にぶつかっていない。希望的観測を述べると、ある程度、マクロにみれば太刀洗町ふきんは、古代に物部氏が活動していた感じがする地域であり、彼らの部民で鍛治を行っていた者たちが、そこに居住していたのではないか、などと考える。

  なお、福岡市早良区内野多々良瀬には次のような太刀洗い型のモチーフをもつ伝承がある。「荒平戦争の時、竜蔵寺勢が血刀を洗ったので、大刀洗瀬という。多々良瀬はそのなまり。(『背振山麓の民俗』)」

  「たちあらい瀬」→「たたら瀬」という音転は何となく本当にありそうな感じがするが、いちおう、この地名も付近でタタラ製鉄が行われていたことから付いた可能性があると言っておこう。」http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/sugata/02tachiarai(1)/02tachiarai(1).html


?東京電力 柏崎刈羽原子力 1号 新潟県柏崎市・刈羽郡 BWR 110.0 85/09/18 
?東京電力 柏崎刈羽原子力 2号 新潟県柏崎市・刈羽郡 BWR 110.0 90/09/28 
?東京電力 柏崎刈羽原子力 3号 新潟県柏崎市・刈羽郡 BWR 110.0 93/08/11 
?東京電力 柏崎刈羽原子力 4号 新潟県柏崎市・刈羽郡 BWR 110.0 94/08/11 
?東京電力 柏崎刈羽原子力 5号 新潟県柏崎市・刈羽郡 BWR 110.0 90/04/10 
?東京電力 柏崎刈羽原子力 6号 新潟県柏崎市・刈羽郡 ABWR 135.6 96/11/07 世界初のABWR炉
?東京電力 柏崎刈羽原子力 7号 新潟県柏崎市・刈羽郡 ABWR 135.6 97/07/02 


●中部電力 浜岡原子力 1号 静岡県小笠郡 BWR 54.0 76/03/17 
●中部電力 浜岡原子力 2号 静岡県小笠郡 BWR 84.0 78/11/29 
●中部電力 浜岡原子力 3号 静岡県小笠郡 BWR 110.0 87/08/28 
●中部電力 浜岡原子力 4号 静岡県小笠郡 BWR 113.7 93/09/03 
※『続日本後紀』、承和14年(847年)「遠江国 蓁原(はいばら。現大井川町)郡人、秦黒成女、一たび二男一女を産む、正税稲三百束及び乳母を賜う
勝田、勝俣。勝間田など秦氏地名と氏族。


●北陸電力 志賀原子力 1号 石川県志賀町 BWR 54.0 93/07/30 
※石川県羽咋郡志賀町松尾神社
祭神は、大山咋神、中津島姫命大山咋神は、日吉大社の祭神。
もう1柱の祭神である中津島姫命(なかつしまひめのみこと)は、宗像大社(福岡県宗像市)で祀られる宗像三女神の市杵島姫命の別名とされる。『秦氏本系帳』[原 5]によれば、大宝元年(701年)に勅命によって秦忌寸都理(とり)が現在地に社殿を造営し、松尾山の磐座から神霊を同地へ移したのが創建になるという」
 


●関西電力 美浜 1号 福井県三方郡 PWR 34.0 70/11/28 
●関西電力 美浜 2号 福井県三方郡 PWR 50.0 72/07/25 91年蒸気発生器破断事故
●関西電力 美浜 3号 福井県三方郡 PWR 82.6 76/12/01 
●関西電力 高浜 1号 福井県大飯郡 PWR 82.6 74/11/14 
●関西電力 高浜 2号 福井県大飯郡 PWR 82.6 75/11/14 
●関西電力 高浜 3号 福井県大飯郡 PWR 87.0 85/01/17 
●関西電力 高浜 4号 福井県大飯郡 PWR 87.0 85/06/05 
●関西電力 大飯 1号 福井県大飯郡 PWR 117.5 79/03/27 
●関西電力 大飯 2号 福井県大飯郡 PWR 117.5 79/12/05 
●関西電力 大飯 3号 福井県大飯郡 PWR 118.0 91/12/18 
●関西電力 大飯 4号 福井県大飯郡 PWR 118.0 93/02/02 
※「若狭国(福井)貢進物付札木簡」に秦氏の名前が記録されている。遠敷郡には秦勝(はたのすぐり)2名、秦曰佐(おさ=長)1名、秦人15名、秦人部1名が、三方郡には秦勝2名、秦曰佐1名が記録されている。

また鯖街道で隣接する滋賀県高島市の鴨稲荷山古墳と近接する鴨遺跡(奈良~平安時代)からは、「遠敷郡 遠敷郷 小丹里 秦人足嶋 庸米六斗」の記載があり双方交通ひんぱん。

小浜市から東へ17キロばかり行ったところに「田烏 たがらす」集落がある。若狭国田烏浦である。この漁村を開いたのが秦氏の人であった。鎌倉時代には刀禰(とね、町役人)職としてここに住まい、以後、代々庄屋を勤めて今に至っている。この家の古文書は二百数十点に及び、現在京都大学文学部博物館に所蔵されている。それによれば彼らの先祖は鎌倉時代初頭、三方郡耳西郷日向浦(みかたのこほり、みみにしごう、ひるがうら)に秦成重・成里・則清(なるしげ・なるさと・のりきよ)三兄弟が移住してきて開発したと記録されている。耳西郷日向浦は現在の福井県三方郡美浜町日向である。参考水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』2013


?中国電力 島根原子力 1号 島根県八束郡 BWR 46.0 74/03/29 
?中国電力 島根原子力 2号 島根県八束郡 BWR 82.0 89/02/10 
見つからず。しかし秦さんは多い。


●四国電力 伊方 1号 愛媛県西宇和郡 PWR 56.6 77/09/30 
●四国電力 伊方 2号 愛媛県西宇和郡 PWR 56.6 82/03/19 
●四国電力 伊方 3号 愛媛県西宇和郡 PWR 89.0 94/12/15 
「秦部がおかれたと推測される記事は『続日本紀』天平神護二年(七六六)の条である。これには「伊予国の人、従七位上秦毗登浄足(はたひと・きよたり)の奏言によれば、孝徳朝の時代に大山上安倍小殿小鎌が伊予に遣わされて朱砂を採取した。彼はこの地で秦首の女をめとり、その子の伊予麻呂は母の姓に従って秦伊予麻呂と名のった」と記されている。これによって秦首が伊予国に居住していたこととともに、その来住が孝徳朝以前にさかのぼるものであったことがわかる。

 ところで、この秦毗登浄足の「毗登 ひと」は首や史にかわって使用されたものであり、とりわけ史は若干の例を除き全て渡来系の氏族に付されており、渡来系氏族に固有のカバネであった。そして秦氏の「ハタ」は新羅語のハタ(パダ=波)に由来するものと考えられている。したがって、伊予の秦首は新羅系の渡来氏族であった。この秦首は「首」の姓を有していることからみて、中央の秦氏の支配下にあったと考えられる。またそのいっぽうで、みずからの配下に秦部を従え、それを管掌する役割をもっていたであろう。そしてさきの史料では鉱産資源の採掘を目的として派遣された安倍小殿小鎌と秦首との結びつきが示されており、このことからみればその採掘にあたって渡来系の技術をもつ秦首が、これに積極的に関与したと考えられる。

つぎに、秦首と同様、中央の秦氏と結びつく系譜をもつ秦勝についてみていこう。秦勝に関する史料は天平勝宝九年(七五七)の「画工司未選申送解案帳」である(正倉院文書・一四)。これによれば、伊予国温泉郡橘樹郷の郷戸主として秦勝廣庭の名がみえ、秦勝が温泉郡に居住していたことが確認される。この「勝」に関して雄略紀一五年条には秦酒公が一八〇の「勝」集団を率いたことがみえ、これによって五世紀中葉から六世紀前半の頃にはすでに中央の秦氏―勝姓者―秦部という管掌形態のあったことが推測される。

 ところで、この秦勝が温泉郡の地におかれていることに注意をする必要がある。温泉郡は伊余国造の管轄した地であり、比較的早くから大和朝廷の支配下に入っていたと思われ、かつその地理的位置は重要である。つまり、温泉郡は伊予国とりわけ松山平野の中心的位置を占めるとともに大和朝廷の中継地である熟田津にも近接している。そして全国に分布する勝姓は美濃・畿内(河内が中心)・筑豊・豊前・豊後に多く存在しているのであり、このような分布のあり方は、一般に畿内を中心として東西の軍事的拠点、あるいは海上交通の拠点(海部?)に勝が設定されたことを示すと理解されている。したがって、伊予国の秦勝およびその管掌を受けた秦部もまたそのような意義をもって温泉郡に設定されたと考えられる。」http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=62&P_FLG1=2&P_FLG2=1&P_FLG3=1&P_FLG4=2


そもそも秦氏出身の土佐長宗我部(ちょうそかべ)氏の支配下である。
「秦河勝は聖徳太子の信任を受けており、丁未の乱(587年)にて聖徳太子と蘇我馬子が物部守屋を倒した際に功をたて信濃国に領地を与えられたので、子・秦広国を派遣した。これにより信濃秦氏が始まる。後年、信濃更級郡に居住していた秦能俊(初代 長宗我部能俊)が土佐に入ったのが、長宗我部氏の始まりとされる。」Wiki
もともと長岡は「そかべ」で、長宗我部氏は地名名乗りである。
漁師町。

伊予秦氏は小千(おち)命を祖とし、これはのちの越智氏で、改名して矢野氏。四国水軍の棟梁であるので久米部と秦氏の混血であろうし、松尾大社が大山積を大山咋神と改変したことも考えうる。


●九州電力 玄海原子力 1号 佐賀県東松浦郡 PWR 55.9 75/10/15 
●九州電力 玄海原子力 2号 佐賀県東松浦郡 PWR 55.9 81/03/30 
●九州電力 玄海原子力 3号 佐賀県東松浦郡 PWR 118.0 94/03/18 
玄海町鐘崎の岬の先端に突き出た佐屋形山に鎮座する、宗像大社の摂社、織幡(おりはた)神社(織幡神社(おりはたじんじゃ)とは、福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬にある神社である。式内社(名神大)、旧県社で、現在は宗像大社の摂社である。織幡宮(おりはたぐう)ともいい、地元の住民からは「シキハン様」と呼ばれている。

『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が織った紅白2本の旗をつけ、これ上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(宗像の沖ノ島)に立てたという。武内宿禰が旗を織ったのが当地で、その旗が祀られていると伝えられる。武内宿禰は、「我死なば神霊は必ずやこの地に安ずべし」と伝言したといい、境内右手には武内宿禰が沓を残して昇天したと伝えられる沓塚がある。延喜式神名帳では名神大社に列し、宗像郡内では筆頭の宗像大社の次に記されている。鎮国寺と宗像大社三社を併せて「宗像五社」と呼ばれ、古くから朝廷の尊崇が厚かった。
織幡神社、福岡県宗像市鐘崎
主祭神:
    中座 竹内宿禰
    西座 住吉大神
    東座 志賀大神(綿津見三神)
配祀:天照皇大神、宗像大神、香椎大神、八幡大神、壹岐真根子臣


鐘崎の港の先にある鐘ノ岬の小山・佐屋形山の山腹に鎮座する。式内社、現在、宗像大社の摂社となっている。神功皇后ご一家、竹内宿禰、住吉、安曇、宗像の3海人族の神の全てを祀っている。http://www.geocities.co.jp/sundovani/Arai/101-2.htm
「かねがさき」地名は日本海一円に存在し、宗像~福井まですべて武内宿禰と応神・神宮皇后にまつわる祭神を置く。武内宿禰が旗を振った伝承でほぼ一致し、同一種族による伝播であろうかと思われるが、その旗とは要するに八幡宮由緒である八宇の旗=「やはたの神」のことを指すので、これは豊前秦氏の伝承の伝播であると考えられる。

●九州電力 川内原子力 1号 鹿児島県川内市 PWR 89.0 84/07/04 
●九州電力 川内原子力 2号 鹿児島県川内市 PWR 89.0 85/11/28 

未調査。島津氏は秦氏

合計51基  4390.3



■注意事項
秦氏の部民は全国に存在する。その理由は殖産氏族であった葛野秦氏は全国規模で鉱物探索をする下人を多く派遣したからである。だから原発が必ずしも全部、秦氏部民がいたからだ、とは必ずしも限定してしまうのは危険であろう。秦氏だけでなく渡来系氏族に従属した人や部は多く、また繊維養蚕機織=秦氏だけだと決め付けるのは間違ってもいる。従って、以上の検証結果のすべてを鵜呑みにはせず、さらに考古学的検証などの決定打を今後も探すつもりである。

また、秦氏には秦人=首おびと・勝=かつ、すぐり、秦人部、秦部と階位がある。すべてが葛野秦氏のような氏姓制度のうえの上級官僚氏族なのではない。勝は知事、市長クラス、オビトは国司クラス、秦部は部民で血脈に無関係な従属家臣団に過ぎない。「秦氏」と言えるのは葛野秦氏だけである。おまちがえ、混同のないように。秦人、秦部がいたからといって「秦氏もいた」は早計である。秦部・秦人は半島から連れてきた技術者集団とその族長の一部に過ぎない。

いずれにせよ、中通や伊方や三方・美浜、玄海のように、秦氏やその他の渡来に関与して集散した技術者、漁師、鉱山師たち職能民や漂泊芸能民が、中央秦氏の衰亡によって次第に離散して、孤立化し、その土地に孤立・隔絶された場所に、現在、原発等の危険な産業施設が置かれたことは偶然とは言えまい。その影に明治以降の政府の被差別民保護政策という社会福祉的一面が顕著に象徴的に見え隠れするのは否めない。それはたばこ産業のようないわゆる官製作物の産地とも、漁業のような往古から租庸調免除された人々とも関係する。京都市南部や鹿児島県国分や富山県、広島県、あるいは神奈川県秦野市のようにかつての専売公社事業がいち早く置かれたこととも深いかかわりがあろう。秦氏の重要事業には製塩、河川土木事業があるように、たばこと塩が専売公社に一括された理由を考えてみることも必要だ。

機織にせよ、それらの専売・官製産業、あるいは危険を伴う産業の多くに、被差別者が動員された歴史をわれわれはわすれてはならない。それは決して差別ではなく、むしろ3K事業にすすんで参加した人々がいてこそ、今の日本の繁栄はなしえたのだ
という、尊敬の念であるべきだ。戦争が科学を発展させ景気をよくして来た必要悪である歴史の必然と、それらはまったく同じ次元にあり、それらの人々がなければ、誰もが底辺から国力をささえようとはしなかったであろう。国家の繁栄の礎となったものがかつてはヒニンと言われ、極貧に置かれていた。そのことを反省せねば日本の将来はない。

この際、参考地名に「かねがざき、ながおか、ながおかきょう、なか、なが」を挙げておく。
「かね」は鉱物地名、「なが」は蛇で摩多羅神地名でもある。
宗像市鐘崎(かねざき)、福井県敦賀市金ヶ崎、岩手県胆沢郡金ヶ崎町、下関市鐘ヶ崎、栃木県西方町金崎、埼玉県春日部市金崎、宮崎県宮崎市金崎、など。「金」は渡来地名。







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