「摩多羅神とは摩訶迦羅天であり、また吁枳尼天(だきにてん)である。この天の本誓に「経に云う。もし私が、臨終の際その者の死骸の肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常なる秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの本誓を知らない。決して口外せずに秘かに崇めよ。」光宗(こうじゅう)『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』



「しかして摩多羅神ノ御堂に入りぬ。宝冠の阿弥陀仏ませり。此みほとけの後裡(ウシロ)の方に此の御神を秘斎奉(ひめいつきまつれ)り、摩多羅神は比叡ノ山にも座り。まことは天台の金比羅権現の御事をまをし、また素戔烏尊(スサノヲ)ともまをし奉る也。また太秦の牛祭とて王の鼻の面(おもて)をかゞふり、たかうな(高台?たかうてな、御幣?)などをいなだき牛に乗り・・・」(菅江真澄『かすむこまかた』天明六年)




摩訶迦羅天=大黒天=摩訶迦羅と音写される。密教では,胎蔵界曼荼羅の最外院北方に属し,自在天の化身として,3面6臂で忿怒の黒色形相をもつとされる。最澄が日本に伝え,比叡山に祀ったのが最初。後世では,七福神の1つとして頭巾をかぶり,右手に小槌,左手に袋を持ち米俵の上に乗っている姿が通常のものとなり,福徳の神として民間で尊ばれている。

仏法の守護神。
元来はヒンズー教の神で,密教では大自在天の化身。サンスクリットでマハーカーラ。日本の民間信仰では大国主(おおくにぬしの)命と合一し,頭巾をかぶり,袋を背負い,打ち出の小槌をもつ福の神として,七福神の一神となる。

サンスクリットのマハーカーラMahākālaの訳で莫訶哥羅,摩訶迦羅天,また大黒神,大黒天神ともいう。摩醯首羅(まげいしゆら)(大自在天)の化身で戦闘の神。《大日経疏》においては毘盧遮那(びるしやな)仏の化身で灰を身体に塗り,荒野の中にいて荼枳尼(だきに)を降伏させる忿怒(ふんぬ)神であると説く。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部院に描かれる像は,その特色を反映するかのように身色黒色で焰髪が上に逆立った三面六臂の忿怒像である。

《〈梵〉Mahākālaの訳》
1 もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、大自在天の眷(けん)族として三宝を守護し飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺の厨房(ちゅうぼう)などに祭られた。
2 七福神の一。米俵の上に乗り、頭巾(ずきん)をかぶり、打ち出の小槌(こづち)を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。

摩多羅神=マハーカーラ(大黒天・摩訶迦羅天・吁枳尼天)⇒人を食う神⇒金比羅大権現(マカラ)⇒憤怒と破顔一笑、頭巾。エロスの象徴、ワ二、乗り物⇒乗っていた女神と混同⇒大日如来(アフロディーテ・太陽神)の化身=太陽神アマテラス

河の女神が乗るワニ=河の守護神=秦河勝

となった。


つまり日本ではいろいろな神々がまざりあって解釈され、最終的に密教も混交して理解されていった結果、底辺渡来人たちのあいだで秦河勝として代表されてしまった。






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