欧米人は自分達の祖先が輪になって鍋料理を食べていたことを完全に忘れている。
 

 
なぜ忘れたか?
中世以降に成立してゆくフランス料理のディッシュスタイルを王道だと思い込んだからではないか?フランス料理はロシアスタイルとイタリアスタイルを取り込んだ、王家のディナースタイルである。しかし古代欧州人は、鉄器の導入とともに「自在鍵」「鉄鍋・銅鍋」「吊り下げ方式」で、家族が炉を中心に円になって鍋をつついていたのである。
 
 
住んでいた住居はこのようなものだった。
 

 
竪穴式住居である。水上に木材で土台を作る住居もあるが、やはり藁屋根の円形住居だ。
まったく日本の縄文人の竪穴式住居にそっくりだ。
縄文人はこうしたわらぶき住居の屋根に土を盛っていたことがわかっている。
地面よりも一段低いその土盛り住居から彼等が這い出してくる姿は、記紀に描かれている土蜘蛛の姿そのものだっただろう(岡村道雄『縄文人からの伝言』2014)。
 
 
古代人たちのすることはみな似ている。
風俗も信仰も。
 
 
これはあきらかに野生の志向=円の思想の世界共通である。
 
 
ストーンヘンジの円形祭祀と、東北縄文人の円形集合住居や環状列石に、なんの違いもないことがわかる。
 
 
日本の鍋を囲む文化は縄文時代の円の思想でできている。明治時代の牛鍋からはじめて始まったなどという認識は、勉強不足と言えるだろう。
 
 
それが明治に「復活」した理由は、獲得した自由平等への復帰である。つまり縄文時代の円の思想は、そもそも自由で平等な社会だったということなのだ。古代は世界中がそうだったのだ。そうした始原的理想郷は、今や、島嶼社会や陸の孤島として残された孤立社会にしか存在しなくなりつつある。
 
 
寄り集い、助け合う社会への憧憬が、現代日本の鍋ブームとして出現している。
 
現代日本の若者たちは、いわば時代の敗北者としての自分を、大震災以来強く認識し、シェアし、語り合える囲炉裏端に飢えているのだろう。
 
 
指輪物語の種族よりそって指輪を捜し求める姿も、実は円のよりつどう思想である。放浪し=苦痛と経験、炉を囲み=同じ釜の飯を食う=連帯を味わうのは、ちょうどサンカの漂泊に似ている。差別された人々にはそうした互助社会が残存したわけである。何が自由かはまことにわからないものだ。
 
 

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