前の地震記事でも書いたように、史上、人間は不都合なもの、大事で必要な事業をやってのけたものを阻害し、記録から抹消したり、ひどいときは名前を変えたり、別人に仕立てたりしてきた。『日本書紀』などはその宝庫だと言っていい。

蘇我氏などはその代表だろう。

いや『日本書紀』が一番消したかったのが蘇我氏だと言ってもいい。それは当然、『日本書紀』成立時代の為政者が蘇我本宗家氏を滅ぼした中臣氏=藤原氏だったからだ。蘇我という『日本書紀』表記の意味は祟り封じである。「我必ず蘇る」とは、つまり蘇り返し。先にそう書くことで蘇我氏の復活を封じたのである。そもそもこれは「持ち上げ禁忌」なのだ。

相手を持ち上げて、いわゆるほめ殺ししたのである。ということはそれだけ藤原氏が卑劣な手法で彼らを消したからにほかならない。それであとの記事にも、入鹿の亡霊らしき青い蓑笠=神や亡霊を着た怨霊が女帝の宮に登場する。どうにもやった側はみずからのやり口をひどいと自分で懐古しているらしい。その裏には自分たちは知りませんよという逃げもある。

だから蘇我氏の代わりにいいことをした人をたくさん創作し、これも祟り封じに配置した。聖徳太子や鞍作止利はそうした『日本書紀』の創作した蘇我氏のよい事跡の象徴である。彼らそのものはいなくてもいいし、別人であってもいいし、その事業をやってなくてもかまわないのである。ここが『日本書紀』の最大の面白い部分、醍醐味だと言える。

聖徳太子は中国の記録に「つつがなきや云々」とあるんだから実在じゃないか?と人は言うだろう。しかしその『隋書』に書かれた王の名は厩戸ではない。あめのたらしひこであって推古女帝でもないし、聖徳太子でもない。そんな人はいなかったのである。それは蘇我馬子としか考えられない。したがって『日本書紀』の言う聖徳太子とは、天智白村江敗北後~藤原光明子までの間に、さまざまな証拠物件を作り出し、あるいは仏像を置き換えたりして作った「劇場」である。

まさかそんなことは・・・とあなたは言うかもしれない。けれどそうした事実があったかどうか全国の人々は知る由もない時代。大和内部で実力者によっていかようにも書ける。マスコミもテレビもない。世論すらない時代である。為政者は租庸調まきあげにまい進し、まったく政治は外に向かっていない。真実を知っている人はわずか。それも殺してしまえば死人に口なし。そういう時代だ。

モデルはしかし必ずある。そうでないと信憑性は疑われる。NHK朝ドラが最近人気が高い理由は、主人公にちゃんと歴史上のモデルがいるからだ。まったくの創作なら、それはフィクションなので上手な小説家や脚本家でなければ成功が難しい。逆に言えばそれで稼いでいる作家はほぼ天才的なのだ。(もちろん演出家やキャラクター次第で視聴率は高く出来るが)

止利という仏師もいない。いても仏師ではない。仏師だったとしてもあそこまで上手に仏像をすぐには作れない。鞍を作っていた氏族が突然天才的仏師になるというのも合点が行かない。いきなりあのような三尊像が作れるはずもない。

蘇我馬子の「うまこ」という名前や、蘇我稲目のいきなりの登場やもおかしい。先祖の名前もどこか創作で、事跡がまったくない。稲目はまるで欽明天皇にとっての太公望のように登場し、あるいは秦氏の大津父のように登場する。あきらかに中国史書の登場人物に彼らは模してあり、すなわち空想の人物である。秦河勝も同じで空想の頭領だ。

こうしたことを書き残したのは日本の大和の史書だけである。つまりそこにあるのは祟り封じという極めて日本的発想なのである。


「うまこ」と「うまやと」、「くらつくり臣」と「くらつくりとり」はあきらかにリンクする関係のある命名である。その奥に林臣という中華系氏族、司馬氏という中国王族子孫の、実は河内王朝の王だった先の王家のような配慮も感じる。飛鳥時代はそもそも河内王朝を継体大王が略奪したところから、さらに継体一家を絶滅させて欽明が転覆させたところから始まる。その話はやはり三国志以後の、司馬氏が魏を転覆させたところにそっくりである。オケ・ヲケの隠れ王子などは史記始皇帝の「貴貨置くべし」伝承そっくり。つまりすべてが創作である。


しかも蘇我氏の祖である武内宿禰からして「内臣」であり、つまり大王の側近としてある。これらがすべて宰相創作神話だと言ってよい。それで『日本書紀』は貫かれた書物なのだ。


『扶桑略記』などの記述は部分的に客観的であり、主観的だが「蘇我氏家伝」などのほうが真実である可能性が高い。藤原氏に力がある時代には書けないことが書けたのだ。

小野妹子が中華皇帝煬帝の返書をなくしたなどと書いてあるが、そのようなものが最初からなかったかもしれないし、あっても藤原氏が焚書したかもしれない。もちろん「国記」「帝記」もそうだ。それどころか使者すら来ていなかった可能性すらある。記録などひとづてでも書ける。所詮人工の産物に信憑性を求めるほうが間違っている。それは考古学遺物でも同じで、後世、いくらでもおき直しや埋め戻しができる。

そうなると果たして『日本書紀』全部が大嘘だった?ともなりかねないが、そうれはそれで祟り封じの意味がなくなり、あったけれども反対のことを書いてあると裏を読まねばならない。全部嘘なら日本には古代史はなかったことになってしまう。


以前も書いたことだが、人間と言うものは、うそつきな生き物だし、有事が起きたときにはそれまで反駁してきた政治家たちでさえ一致団結してなんとかしようとする。先の大戦では神国日本を大プロデュースし、世界征服、植民地主義を正当化しようとしている。政党もへったくれもなく侵略に向かって一丸となってしまう。白村江大敗北もそうだ。一丸となって新羅に立ち向かう。そのために聖徳太子というイメージヒーローが必要だった。持統天皇も光明子もそれが必要だった。転覆させた政権というものはそういう正当化を最も重視する。豪族たちの合議制社会だからである。和の国だったからこそである。

小池百合子の公開する政治では、豊洲はOKだが、五輪は神聖で、外国人も見ているからあまり揉め事はみっともないという面が日本人にはある。あんまりやるとスケープゴートになりかねない。しかし外国人であるIOC会長は、すべての立場に考慮して提案を出してきた。これがみっともない。小池はだから五輪問題には深入りしてならないとあっちのブログには書いておいた。バッハのおかげでとりあえず日本人はみな「はっ」とそこに気がつけた。そうだみっともないのだと。

それはしかし、すべてが公開されていたからこその情報である。密室で決められた前の東京五輪では、国民は理想しか教えられず、いやいや五輪というものがあることすらはじめて知ったものもいたのである。代々木や国立がどのくらいの金で作られたかも知りはしなかった。知るつもりもなかった。なぜならあれは大成功したと思い込んだからだ。ところが今になってその後の国庫の金の不足と借金が東京五輪から始まったことを知るのだ。

そういうぐあいで、われわれはその歴史の中で生きてきても、知らないことだらけなのだ。まして古代のことをや。である。


こうした歴史の虚構が知られることは都合が悪い人たちがいる。近畿至上主義の学者たちである。だから無視する。王朝は九州から来ていない、邪馬台国も東遷していない、纒向には九州の土器はまったくない・・・そういう言い回しをする。すべて祟り封じでしかない。


祟りの核心はしかし彼らの先輩学者が作ってきた大和中心の歴史学そのものである。彼らが面白いのは、彼らはその偉大なる師匠たちを認めもしない、かといって間違っていたとも言わない、持ち上げもしない。ほったらかして封じ込める。それらはもう定説なのであり、神獣鏡は魏鏡なのであり、卑弥呼の鏡で間違いはないのだとする。それがそのまま教科書になり、日本国民はいまだにうその歴史を教え込まれる。

こうなると藤原氏のように今度は記紀を焚書するしかないんじゃないかと見えてくる。それほど亡霊が跋扈するのが歴史学である。

それがまた戦争のもとになるんじゃないかと、年寄りたちは危惧している。にも関わらず教え込まれたうその歴史から逸脱できない。


矛盾。

それが人間。

いっぺん全部捨てたほうがいい。コモンセンスのすべてを。
リカバリーせねばならないのはあなたのPCではなく、あなたの脳みそにこびりつく嘘ではないか?
毎日毎朝、昨日までの記憶をなくす病気になりたいものだ。