『魏志』東夷伝倭人の条にはいくつかの地名と人名が掲載されるが、これはほかの地域に伝に比べると異例の書き方である。

私Kawakatuは以前から、それらの地名・人名のいくつかが実名というよりも創作されたものではないかという思いがある。

邪馬台国 やまーだいーこく・・・YAMA-DAI-KOKUで地名として意味があるのは「YAMA」だけで、台は臺であるなら、漢語の意味は土を高く積んで人が来るのを見張るための物見台で、転じて台上に王がいる場所=「首都のある場所」になる。今の中国にも釣魚台などの名があるが、ここは土地、都市、為政者のいる台という意味がもたされている。すると「やま」だけに意味があり、それはどこでもよかったことになる。長江少数民族には文字がない。縄結キープ文字か絵文字しかない。だから漢語で「やま」国とはどこだったか?を考察することには意味がなかろう。もちろんこう考えると「壱国」だったはずもなくなる。邪馬一国ではただの一国になってしまう。百歩譲って「壱」が「市」だとしても市国では土地説明が重複してしまう。そもそも日本の地名で「やまいー」とか「やまいち」などまったく類例がない。証券会社じゃあるまいし、いまいちだ。

卑弥呼 ひみこ・・・当時の日本語の「ひのーみこ=日の巫女」で、人名ではない。役職名である。これは多くの研究者が言っている。
また以前も書いたが、読み方は「ひめこ」であるとするなら狗奴国の男王卑弥弓呼の読みも「ひめきゅうこ」などとなってしまうから男王としての意味をなさなくなる。
ゆえに読み方は「ひみこ」。

卑弥弓呼・・・弓は比の誤り。ひみひこ。日の彦ではなかったか?


臺與 だいよ・・・台を与えられた者=臺を與えられた者つまり二代目王という意味しかない。人名ではなく役職名である。そう理解すれば壱與ではまったく世継ぎとして意味をなさなくなってしまうから、壱与はありえない。

そもそも邪馬台国に特化したこれらの地名・人名は作者の創作したものではないか?
つまり「やまたいこく」という国はなく、それは「やま」「やんま」「やば」などの音の地名であり、そういう場所は日本にはそれこそ「やま」ほどあるから、作者は最初からその場所や人々を実在として書いてはいない可能性が高くなる。




都市牛利 としのーごり・・・都市は漢語で官名。市をすべる者。知事。


以上、筆者の楽しい推理でしかない。
誰も書いていないようなのでメモっておく。