今上天皇が明治の皇室典範以来初の生前退位を望まれているとのこと。
いろいろなことが言われているけれど、不遜ながらぼくごときでも感慨深いと感じるのは・・・


1 はじめて自分よりも若い天皇が誕生すること=昭和生まれは年取ったなと
2 今回の生前譲位を典範の例外として認めるのか、それとも典範の譲位条件を書き換えるのか?という政府の選択の問題
3 もし典範を書き換えるなら、その後の天皇が途中で譲位したくなった場合、どういう条件を書き加えればいいのか?
4 年号がまた変わる。平成生まれも過去の人になる。
5 どっちにしても国民全員初めての歴史体験を共有する
6 みんな人生ではじめての「生前譲位の礼」を見られるかも知れない
7 太上天皇・皇太后になられたお二人を見られる。同時にその行く末。

などなどです。



過去の歴史では、
最初の譲位 皇極女帝→弟の軽皇子(孝徳天皇)へ 理由=一巳の変による世情不安定

最後の譲位 第119代光格(こうかく)天皇

江戸以前の譲位は半数以上に及び、かつては生前譲位は一般的だったようですな。
戦後の憲法に規定された「人間天皇」の中でも、「生まれながらの人間天皇」として初代である今上天皇(きんじょうてんのう=今の天皇という意味。亡くなってはじめて平成天皇と諡を号されます)が、おん自ら生前譲位を望まれたというのは、まさに天皇の人間であることの象徴として、あるいはご年齢を思えば、国民もまたそれを否定する余地はないかとも思えます。

ただ、皇室典範を改正するに当たっては、いろいろなあとの時代のケースまでかんがみて慎重な書き換えが必要なのかもしれません。

しかし、ぼくは生まれたときから昭和天皇、そして今の天皇と、どちらもぼくよりも年上であり、それが当然のことだったわけで、今回、生前譲位という歴史的転換が起きた場合、初めてぼくよりも年下の今の皇太子が即位されることになるわけで、ニュースを聞いて初めて「あの小さかった浩の宮様(皇太子徳仁親王)が・・・」の感が非常にあるわけです。

思い出せば、自分が15歳の中学生のときに、1970年の大阪万博で、ぼくの目の前に停まった黒塗りの車からちょこちょこと降りてきた、学習院小学部の制服を着た小さな小さなわずか十歳のあの児童が、ぼくが生きている同じ時間帯に天皇に即位するなど、これまでそうそう考えることもなかったわけです。そう思うと、ああ、つまり自分もそれだけ年取ったのだ、死期がそれほど近づいているんだなあと感じてしまったわけです。

年号がまた変わりますから、これまで昭和生まれを過去のヒトとしてきた平成生まれの人たちも、いずれ近いうちに、もはや過去のヒトにされるようになるでしょうねえ。歴史は面白いねえ。

「え?●●生まれなの!?」と新入社員に平成生まれの先輩が驚く・・・そんなシーンが近くなるわけです。「え?!●●生まれのアイドル~~~? はあ~~~」とため息をつくことになるんでしょう。

昭和生まれはさらに大変ですぞ。
平成に変わって西暦と年号の置き換えで悩んだのが、またまた計算がややこしくなりますからねえ。

「ええと、今が●●5年だから西暦20●●なので、昭和30年生まれの俺は・・・履歴書が書けない!!」となるですよ。


典範の書き換えがなされた場合、ではもしも次の天皇が60歳くらいで譲位したくなったらどうするのでしょうね。それも認めるのか、あるいは今回を特例とするのか、あるいは年齢、状況の既定を設けるのか?という問題が出ますでしょうね。これはもう政治家も学者に頼るしかないのでしょうが、なにしろ学者・法律家にとっても人生初めてのことになります。結局は『日本書紀』や『続日本紀』以下の過去の事例からあらゆるケースを引っ張り出して書き換えることになるんじゃないでしょうか?


これは例えばの話ですが、病弱な天皇も過去おられまして、夭折ですな、あるいは安徳天皇のように戦乱の中で非業の死を迎えた天皇もおられたわけですが、もし病弱で存続が難しいと医師から宣告されるかも知れないケースだってこれから起こらないとも限りません。そういう場合の譲位も考えておくべき?

また、過去、太上天皇となっても上皇、法皇として院政を敷いた天皇もおられたわけですが、そういうのはありかどうかとかね。

あるいは今度の天皇が、即位後に病気、あるいはお気持ちが譲位に向かったとして、では皇太子を弟の秋篠宮に男弟譲位されるのか、あるいはそのお子様に譲るのかとかですね、いろいろあると思えます。あるいは思い切ってこの際、男子継嗣も書き換えちゃうのかといった諸問題があろうかとも思えます。


いずれにしても、国民はイデオロギー抜きで、まずはご高齢の今上天皇には晩年をゆっくりと過ごしていただきたいことに変わりはないでしょうから、あまりごたごたせずに、すばやくすっきり決めていただきたいものですね。


ぼくたちの意見などあろうはずもありません。国民投票?ありえないでしょう。不遜でしょう。第一、議会制民主主義で国民投票というのがおかしいのですから。英国の失敗を見ても、たった一度の国民投票ですべてを決めることほど早計でおろかな選択はなかったわけです。そもそも国民という漠然として大量の人々の中には、まともにものを考えずに感情でものごとを決めてしまうヒトもごまんといるわけで、正統な多数決と言えません。味噌もくそもひとつの問題を考えさせていいのか?という大前提を考えずに軽々しく国民に責任をおっかぶせたようなことになるのですからね。国民投票は議会制民主主義の世界ではあってはならないのではないかとも感じます。あくまでも議会が、何度もの慎重な話し合いで物事を決めるべきでしょう。




しかし、トルコのクーデターにはちょっと肝が冷えました。
トルコは古代からヨーロッパと中東・アジアの緩衝材の大役を担ってきた地域でしたから、今回、なんにせよ、トルコが西欧型民主的世界ではなくなった場合、欧州世界、つまり西側自由主義全体の瓦解を招く恐れがあるからです。その点では、英国のEU脱退も、自分たちの足元を自分で壊しているような出来事だったと思えます。英国民もあとからそのことに気付いていますが、それほど国民投票は世界の崩壊までひきおこす可能性を持ったものだと感じましたね。


その英国のエリザベス女王ももうかなりのお歳です。彼女は英国連合の盟主であるほかに世界のキリスト教プロテスタント宗派の「王」でもあろうかなと思いますから、その死や譲位は天皇以上の影響力があります。なんて、考えたことありますか?


この際、いい機会だから、みなさんも『日本書紀』などの過去の歴史を読んでみたらどうでしょうか?まったく読みもしないで歴史を語ろうという方々も多いだろうけれど、いかに無謀なことかわかると思います。


勉強とは「強いて勉める」と書き、おのれが進んで学ぶことです。それに比べて学校で習うのは学習で、人に教えられ学ぶことです。自動的と受動的の相違があります。学校で習った程度の浅薄な知識で、選挙に行くなんてなんて無謀なことを政府はやらせるのでしょう?
学校を出てから学ばねばならぬことは、学校のカリキュラムの百倍以上ですよ。つ
まり大学卒業も高校の卒業も、ただの「巣立ち」でしかありません。なのにその未熟な彼らに選挙権を与えてしまいました。




人は年齢を重ね、経験を重ね、失敗と挫折を重ねながら正しいとは何かを知る動物です。若い人がナショナリズムに走ったり、反対にコミュニズムに走っていきます。それを大人たちははらはらしながら見守っている。圧倒的に経験と学習と勉強を重ねてきたものを彼らは軽視して前へ突き進んでいるつもりです。なんと危険な生き物たちだろう。野放しの野生であると、ぼくたちは感じています。




そしてその中高年であるぼくでさえ、いまだ未熟であり「木鶏足りえず」なのです。








































転載元: Kawakatuワールド