日本人至上主義的な意見に、弥生時代の文化を持ち込んだ渡来人は朝鮮民族ではないはずだ・・・という主観論がいまだに根強い。筆者も古代史分析を始めた頃は、そうした偏向した主観論をかすかに持っていた。けれど考古学や遺伝子学その他のあらゆる視点で本を10年以上読み続けると、そういう考え方は薄れていった。

と、いうよりもそういう排他的発想には限界がどうしても出てくるのであって、このわかりやすサイトをごらんになれば、弥生の水田稲作と朝鮮南部式(伽耶式あるいは金海式)の農具がリンクして出てくることは否定しようがないのであって、ではどう渡来の来歴を見極めるかのほうに視点が向かわねばならないのである。


水田を伝えた人々





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縄文時代後期から稲作と農具は付随してやってきている。これは否定できない。
縄文後期の稲作は水田・ジャポニカではなく陸稲・インディカとジャバニカが中心で、これは江南由来で来ているが、弥生の稲作はあきらかに水稲でジャポニカであり、同時に・・・ここが重要なことだが「遊牧民を由来とした朝鮮民族本道の人々ではなく」、倭人とは「南部海岸部の倭種同族であった」伽耶、金海の稲作と農具が来たということを再確認すべきなのである。


現代朝鮮民族の本流はあくまでも北方系の騎馬遊牧民であった新羅系が中心だが、彼らは中国華北の漢民族と同じく北方系穀物である粟・稗・麦などを主食とした人々で、南方系作物である米は久しく主食にはしてこなかった。だから当然、「日本に朝鮮経由で稲作が来たとしても、それは伽耶あたりの倭人が」「倭とほぼ同時期に」開始した農業形態であり、両者は人種的・民族的・民俗誌的に、ほとんど同じ言葉を使うひとつの民族だったのだという発想に気づくべきなのだ。


神社伝承からのアプローチが一時期はやった。それは1970年代のことで、すでに古い。古田理論ももう古すぎる。彼らは歴史を客観ではなく、主観でしか捉えられぬマスター・ベーショ二ストだと言える。独善的で、自分の意見におぼれるために、わざわざ耳目を集めそうな極論で人を惑わせるだけの無用の自慰者でしかない。歴史を勉強せず、考古学を否定し、独善の曲解によってすべては解けると思い込み、それに陶酔してしまう哀れなひとりよがりである。必要ない。消えてくれてかまわない。