前の記事から続く。

前の記事で書いたように、三種の神器は大王の印・・・ではなく。最初は敗北者の帰順のあかしとして勝者にさしだされたものだった。だから決して大王家のシンボルなどではなく、搾取してきた数々の地方王がそれぞれ同じように剣・玉・鏡を持っていることが重要であります。もちろん、彼らが全部、三つの神宝をしるしとして持っていたわけではないでしょう。鏡の氏族もいたし、剣の氏族も、玉の氏族もいたことでしょう。その三つをすべて手にしたことこそがつまりすべての地方を平定したということなのだと、『日本書紀』が書いた・・・それだけのことだということです。

(それは女性の視点から言うならなんとも冷酷非情な行為でしょう。今の天皇が大王となるために、相手を平伏させるまでは歴史の常としても、そ敗者たちのシンボルを奪い取り、それをおのれの神器とした・・・ありえない話ですが、西欧その他では当然の権利でしょう。しかしわが国でそのようなことが起きたのでしょうか?祟りを言霊を恐れるこの国で、そんなことをして、残存旧態勢力の納得が得られたでしょうか?ならばなぜその後の天皇家はさえない錦の御旗にされてしまうような、どじな人生だったのでしょうか?)


三つ=多い=すべて・・・それを簒奪し、自分のしるしに転用した。そう書いてあるだけです。

けれどそれは決してすべてではなかった。北に蝦夷王国、南に筑紫王家、日本海には出雲王家・・・と、まだまだまったく列島を全部牛耳れたわけではない。そんなものを列島の王家、朝廷と認めることはぼくにはできません。

つまりぼくが当時の古代人ならば絶対まつろわないでしょう。あなただってそうです。ならばどうするか?とりあえず帰順して家臣面し、持ち上げるか、徹底抗戦して滅びるかです。

ところが卑劣にも、まつろわぬものどもの居場所、人々は、当然、中央は「差別する」のです。









差別するのです。
















差別します、人間は。必ずそうするのです。




差別された人々がいる場所には、必ず○●○●などがあるわけです。い・ま・も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



そういう土地を探すのに、ぼくはまずは装飾古墳や地下式横穴を探すことにしています。あくまでもきっかけとしてですが。


















まだわからんかこのばか。

高松塚も聖徳太子も、所詮敗北者だときがつかんかなあ?お人よし。