さきほどの問答で、明治時代の伊藤博文の話をされましたね。
ーええ、初代総理大臣伊藤博文が宮内省侍従長だった徳大寺実則へ明治28年3月に当てた書簡が全文漢文だったと申しました。

すると宮内からの返事ももしや?
ーそうです、漢文です。例文の出展は『民族の創出』P66にあります。

明治28年というと維新から30年近く経っていますね。そんな頃になってもまだ伊藤の山口弁では上方のやんごとない人々には意思疎通が不可能だった?
ーええ、そうです。

ほかに例はありますか?
ー山ほどあります。
その伊藤博文ですと、彼がまだ兵庫県県令だった頃、兵庫弁がわからない。向こうも伊藤の防周なまりの武士言葉がまったくわかりません。やったとったのあげく、伊藤博文は相手に文語でこう言った。「宮島誠一郎に問う、君、年、いかに?」。やっと相手は伊藤の聞きたい事が理解できたそうです。周防言葉でどう言ったのか知りませんが、関西弁の宮島に「あんた何歳かね?」と、これがもう伝わらない。

へえ!?
ー有名な西郷さんが幕末に江戸っ子の海軍奉行だった勝海舟と談話してますね?

ええ
ードラマとかじゃ言葉が通じているように演出してますが、考えたら薩摩弁が当時の江戸っ子に通じるはずがない。

そう言えば。
ーすると、そう簡単に1時間ドラマで話がおさまるはずがないわけです。おそらく何日もかかる。しかも話す内容は大政奉還のような国家存亡の一大事です。通訳がいなくちゃならない。

です。
ーだから坂本竜馬なんかすごいわけです。言葉が通じない双方に手を組ませたんだから。でもよく考えれば、小説やドラマのようにいったはずはない。もう何ヶ月もかかるはずですよね。相手は外国人同士と同じなんだから・・・。


なるほど!まったくです。
ーなのに政治家は日本は単一民族、一国家、一民族だと言って来た。戦後でも同じです。塩川さんだって、日本人は民族はさまざま混交しているが、共有する文化としては単一民族と言っても間違いはない」などと言っている。ほかの自民党の政治家もだいたいそうでしょう。これは野党では言わないのです。与党だからいわんやならん。国家をひとつにするための詭弁だヵらです。だから政治上の日本民族はひとつなんです。しかし学問上ではそうはなりません。政治とはそういう日本人のアイデンティティを打ち出しておかないと、国がばらばらになってしまうと考えるものなんです。

明治の東北人と九州鹿児島県人がしゃべったらたすごいことに・・・
ー絶対通訳が要ります。それも四人ほどいりますよ、東京の人が理解するためには。それこそ「あなたいくつ?」「50です」に一時間はかかる。そんな世界が明治まで続いてきたんです日本は。これが古代や中世ならどうしようもないです。で、武士は文語を生み出す。それから民間では謡曲。歌うんです。互いに。昔の歌垣、少数民族のフォークダンスみたいな意思疎通方法です。歌は世界共通って、あれが国内で必要だったわけ。


ひゃああああ・・・すごい世界だ。じゃあ、日本が大和民族の単一国家なんかもう妄想に・・・?
ーでしょう?奈良時代にあった猿丸太夫集団なんか、実はとても大事な言語疎通組織なわけです。和歌とか謡曲とか神楽とかね。ああいう芸能で情報を伝えるほうが手っ取り早い。


なるほど!つまり忍者とかスパイみたいなのではなくて、伝令組織?
ーそうでしょうね。いくらかはスパイ行為もするでしょうが。スパイと言えば富山の薬売りとか、行商ね、あれもスパイはしたでしょうね。スパイっていうのはまあ、その国の情報を知る。それは民衆がよく知ってます。だから子どもに取り入って、嫁に取り入る。家に上がりこむ。そういうのは中世が一番多いみたいですが。

007みたいに派手な立ち回りは・・・
ーしませんよ。目立っちゃならないですから。隠密。静かに民衆に紛れ込むでしょう。猿丸も舞踏を伝えつつ紛れ込む。すると向こうも大都会の情報をくらかもらえますね。だから長くつきあいが続くと。


神代文字というのもありますが?
ーあれは忍者の符丁みたいなもんですよ。文字というか隠し記号ですね。文字なら全員が理解する記号ですが、あれは逆に誰にも分からなくした記号ですから文字とはいいにくい。符丁です。するとだいたい戦乱の世の中でしか生まれるはずもない。太古からある必要がないのです。まあ、中をとっても修験者の隠語表現かな。せいぜい平安時代に生まれたものです。

岩に刻まれたヒエログリフとか言う人もいますが?
ー修験者だから山を徘徊します。すると岩だらけだ。迷わないように印をつける。山窩などもよくやります。ストーンサークルのはじっこに→とかしてある。物好きは円ばっかり見てストーンサークルだ!古代人だ!って興奮しているから気がつかない。

言霊の国、文字がない国だからこそ、今のだまされやすい、性善説の日本人ができあがった。
ーま、そう考えるのが妥当だし、筋がよく通ります。
中国の少数民族なんかがまだ、来訪したものを歌やダンスで迎えますね。ハワイなんかでもそうだし、島嶼でも、アフリカでもそういう来訪者を神として迎えます。あれは儀式ですし、儀式にはたがいの意思疎通方法だった時代が長く続きました。言葉が通じないからです。言葉が通じないとき、人はまずは身振り手振りで必死で伝えようとします。しかし音楽やダンスはそれよりもはやく仲良くなれる。それからでも言葉は遅くない。まずは心に悪意がないことを伝えないと殺されちゃうかもしれないですから。ま、そういう流れの中からやっと文字の必要性がね。気がつく。

日本の場合は文字は政府が史書を書くためにまず輸入するんです。外国は相手と契約するために生み出す。そこが違う。日本は敵がいませんから。だから神道なんかには教義がない。成文化してないのです、今でもですよ。教義・経典がないのは宗教とはいえません。古代信仰なのです。

じゃあ、神道の極意はどうやって?
ー神宮皇學館が昔はありました。それも実際の神道師匠に体で覚えるしかない。山に一緒に登ったり、滝行したり、精神性が重んじられます。根性ですな。六根清浄です。むかしの運動部ですよ。理屈は一切ない。神がかりすることが最重要です。そこに説明や申し送りなどまったくない。しかし古代信仰なんてのはそういうものです。仏教にだって荒行はある。トリップさせること、憑依なんです、宗教のはじまりは。


すると挫折者も出ますねえ。
出ます。そこで終わりです。スポーツも同じですよ。しかしそれは人生も同じだと。哲学などはそこにはない。まだ道教のほうがかなり理論的です。でも行き着くところは憑依だから・・・データ・統計よりも。そういうのが日本の神道には強い。

中国の仏教ですがあれも大乗とはいえない、道教や儒教が今でも手段として大きい。観念として仏陀ですが、それを同じように体現するのは荒行とか少林寺になっちゃう。仏陀の教えってインド派生の哲学なので、アジア人には難しくて到達不可能。だから仏陀の境地には体育会系、巫女系荒行がね。どうしても頭がいい人ばかりじゃないですから。


なんかこう、両極端の人々が宗教に入り込むような気がしますね。
ーオームもね。東大出の科学畑の人が、ころっと。あれは頭がいいとかじゃないと思います。何かこう常識社会には入り込めない、もっと精神性の高い世界に入り込みたいって、若い人は思うわけでしょう。するとああいうものしかない。入ったら真面目でかしこいから頂上を目指そうとする。すぐいいポジションについちゃう。欲が出る。もっと指導者に近づきたい。殺せと言っている。じゃあ俺がやる。と、そうなっちゃう。


じゃあ、頭の悪い人たちは?
ーいいように搾取されるだけ。だからみんな金持ち。


そういうことって古代なら山ほどあったでしょうね。
ー古代は小集団のためにあって、貨幣経済じゃないからかえってピュア。ないです。多くなるのは江戸時代、元禄時代からでしょ。昭和も多かった。世の中が安定し、金が動く時代に爆発する。古代人はトリップして神に近づくのが目的ですから、戦争なんかするときに憑依するんじゃないか?


言葉文化圏って、やっぱりそういうあいまいというか、神秘性にいっちゃうんですよね?
ー主観的だからです。流されやすい。なにしろ言霊がいるからって歯を抜くんですから。割礼もそうですが、痛いことしたいんです。彼等は。いれずみも痛い。海に潜ったり、山に駆け上ったりも痛い行為です。殉教者の自傷行為とか殉死とか生贄・人柱・人身御供・・・とにかくマゾヒスティックです。

なんかプロ野球時代に鶏肉ばっかり食って体を鍛えていたK選手みたいだ。
ー同じですよ。結局麻痺したい。鍛えるの反面は痛くしてじゃないかしら?客観主義なら文章で表現します。わたしは今とても心が痛いのだって、李白みたいにね。ところが文字を操らない人は体現してみせちゃう。表現方法がそれなんでしょう。レスリングをする女子見ていると、ぼくなどはいつも「なんのために?」と思うのですね。女子は子どもを生むのが最大の特性です。しかしあんなに肉体を鍛えたら嫁の可能性はどんどん低下するでしょう。なのにやりたがる。本性なんだからしょうがない。それで金メダルなら万々歳です。しかしそうじゃなければ、根性鍛えただけになる。自傷的です。理論や理屈でははかれません。表現がじれったい人っているでしょう?知り合いにいましたが、誰かがすらすらっとしゃべったり、うまく初対面の人と仲良く慣れるのがいつもうらやましいって言うのです。でも自分ではできない。沈み込む。人嫌いになる。宗教やスポーツやダイエットなんかにのめりこむ人が多いです。


文字も言語も人並みに教えられてよかった。
ーよしあしは成功するかどうかですけどね。ま、成功しなくても生きていけますけど。でもスポーツマンは成功しないいとね。Kさんは立派な成功者なのにトリップに向かったか・・・孤独だったんだね。酒なら問題なかった。ファンだっただけに惜しい。若い頃は真面目で、大きな体で人に好かれる人だったのになあ。なんというか、どんどん自分で自分を追い込んでいった気がしますね。可愛そうでもある。だかえどスターは子供が見ているし。古代なら王ですね。アイドルです。それだけに鬱屈するだろうけど、それを乗り換えるのに薬はないね。結局甘いんだろうな、自分に。人にはあんなに優しくできるのに。私とは正反対だ。


あなた、どっちかというとダメ人間?
ーご他聞に漏れず。

底辺でもちゃんと楽しんで生きています。

それはそれですごいじゃないですか?
ー人から見ればね。自分じゃ毎日がっかりしてます、自分に。


またまた~~^
ーえへへへ