実ははっきりしていないことのひとつに太古と古代の使い分けがある。
一般には使い分けはあいまいである。
古代を悠久の有史以前に使う人もいれば、古代は有史以後、太古は有史以前と使い分ける人もいるのであいまいである。

厳密には太古は歴史用語ではない。
そもそも漠然として遠い時代という意味しかない。
文献史学では上古が最古の時代区分で、それ以前は存在しない。
なぜなら文献がないからである。
つまり「歴史」とは有史、文献のある時代以後のことになっている。

ところが考古学で、有史以前のことも歴史の中に組み込まれているから話はややっこしくなる。日本の考古学は文献史学の補助的参考資料と言う立場が長く続いたために、独自の時代区分を作るしかなかった。史学にないから作るしかない。それで有史以前を先史時代とか言うしかない。編年によって旧石器、新石器(縄文)、弥生、古墳と区分したが、これはあくまでも専門用語であって太古のような一般的な表現がまだないのである。だから漠然と記紀以前は古代か、太古と言うしかわれわれにはできない。

すると太古と古代はどう違うかが気になってくるのだが、特に区別がないわけだ。
太古を恐竜時代のようなはるかなかなたにする人もあれば、弥生時代も太古だという人もいる。ざっとした一般人が使える言葉がいまだにないわけである。

だからいちいち縄文時代、弥生時代という用語か有史・先史を使うしかない。それ以前なら太古だと。すごいスパンになってしまう。地球誕生から古墳時代までが太古になってしまう。

そういうことが気にならない人がうらやましい。







おまけ

『日本書紀』が言うには蘇我氏時代には天皇紀・国記というものがあったらしい。
また『古事記』では帝紀・旧辞というものもあったらしい。

本当にあったのかどうか誰も知らない。本物がないからだ。
現物がないのに、学者の多くは「帝紀・旧辞」をもとにして『古事記』は書かれた」などと言う人がいる。あるいは『日本書紀』も国記や天皇紀を定本にして編纂されたのだろうなどとも言う人がある。なんの証拠もないことをこの国の学者は平気で言う。


そもそも「あったらしい」とか「火事でやけた」とか史書が書くこと自体がわざとらしく、怪しむべき政治性に溢れているのではなかろうか?


まったくこの国の史学者は、いつまでたっても記紀の亡霊に振り回されたがる。最初から中国の史書を定本にして描かれた偽りの歴史をこねくり回して喜んでいる。バナナをなめるサルのようだ。おもちゃで遊ぶ赤子のようだ。


その中国の史書でさえ話を盛り上げる軍記史観や道教・儒教史観で出来上がっているフィクションだというのにである。


そういう点で聖書に頼ろうとする海外の神秘主義歴史家にそっくりである。専門家ですらそうなのだから、「神々の指紋」とかデニケンとかに日本人はころっと全員だまされ、世界を放浪してみたりが出てくるのだ。記紀と聖書はそういう代物でしかないことに気がつかない。

もちろん筆者は映画のクリムゾン・リヴァーとか天使と悪魔とかいった伝奇的ファンタジー作品は大好きだ。しかし、それらはみな空想の夢をさ迷う刺激的存在でしかないことはわかっていて楽しむ。まさかそんなところに歴史の真実などないことはわかっており、むしろそういう神秘主義こそが歴史を変えたり、歪めたり、戦争を起こしたりした原因だということもわかっている。歴史そのものが人類のねつ造と改造、恣意的な変形を受けることもわかる。


だから在野が楽しめる。だから歴史は脳みそのいい刺激になる。人類のおばかぶりが今も繰り返されていることを発見して面白い。


過去なんて誰もみたことがないのだ。
歴史なんかそれ自体がファンタジー、空想の産物なのである。
科学じゃない。