中米の遺跡分布図とマヤ文明の遺跡分布
1 湾岸地域を利したオルメカ
2 低湿地と扇状地を利したマヤ
3 高地を利した(アンデス的)テオティワカン~トルテカ~アステカ
4 盆地を利したミシュテカ、サポテカ
に大別できる。
太古の時代から数えれば、それらの文明は紀元前2000年前後のオルメカ、マヤに始まって、紀元前500年以前のサポテカ、紀元前後のテオティワカン、1世紀頃のトルテカ、ミシュテカ、そして13世紀頃のアステカと続く。マヤだけはその間、延々と繁栄を続けている。日本で言えば縄文後期~戦国時代直前、植民地主義スペイン(イスパニア)に滅ぼされるまでまで続いた。
死生観を示すピラミッド。
冬至、夏至、春分、秋分の農耕カレンダーを意識しているマヤの神殿。
火をもたらし、霊魂を運ぶ鳥、ケツァル・コアトル。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケツァルコアトル
ガルーダや八咫烏、西欧ならコウノトリに当たる火と太陽の使者。
蛇の体に鳥の羽を持つ。
モデルとなったケツァル。
太陽と火とそれを運ぶ鳥、使者の観念は世界共通である。
しかし、ひとつ違うことは、唯一の潟湖であるテルミノス潟周辺に遺跡がないことである。
つまりこの文明は周辺との海の交易があまり感じられない文明ではないか。引きこもる文化だったのだろうか?
河川は潟から少し西側に大河が二本あり、これをを使ったのか?
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