少し九州の古墳をとりあげていこう。
秋は装飾古墳公開が10月に始まるが、今年は地震の影響が残存するらしく、すべて公開されない可能性がありそうだと熊本の古墳ファンの方からの情報。それでも中には入れなくとも、周辺には秋の気配もあり、福岡の大宰府政庁跡・観世音寺のあたりはコスモスもそろそろ真っ盛りになっている頃だ。


まずシリーズ最初は、今が彼岸花が盛りの大分県竹田市にある七つ森古墳からご紹介したい。古墳域全体に真っ赤な彼岸花が植えられており、カメラ撮影には絶好の場所である。

ちょうどヤフー考古学ニュースで、記事になっている。







bb4c05d8.jpg




近隣には、豊後国風土記で記録がある禰疑野 神社もある。ここから温泉郷長湯温泉まで一本道。長湯幼稚園そばの長湯横穴墓群からは、直弧文入り短刀が出ており、また平安時代に十二単を染め上げた紫草の里もある。井という集落には井さん一族が古代から住んでいたりもするので、古代史ファンにはなかなかの名所。


七つ森古墳群 国指定
古墳時代前期

現存するのは円墳2基(A、D号墳)、前方後円墳2基(B、C号墳)の計4基のみである。
最西端にあるA号墳は、直径20メートル、高さ4メートルの円墳で、発掘された舟形式石棺の石枕が小さいこと等から、被葬者は生後間もない幼児であると考えられている。
B号墳は、全長51メートルで、後円部の径28メートル、高さ6メートル、前方部の幅8メートル、高さ3メートルと、前方部が細長い柄鏡式前方後円墳である。後円部の中央から組合式石棺1基が発見されており、中には伸展葬された成人男子の遺骸1体が納められていた。
2基の前方後円墳からは、1924年(大正13年)に行われた調査の際に、副葬品として、6枚の銅鏡勾玉碧玉製釧(くしろ)、鹿角装刀子(とうす)などが出土している。このうち、碧玉製釧は、破砕されて遺骸付近に散布された状態で発見されたもので、九州では出土例が少ないものである。


禰疑野神社 ねぎのじんじゃ
景行天皇の九州巡幸で各地の土蜘蛛討伐にて、壬年十二年に禰疑野の地に着き(現在の大分県竹田市今)、打ザル・八田・国摩侶の3人の土蜘蛛を討伐したのだが、その際に、景行天皇が兵士たち言葉をかけて労ったのが、禰疑野の地名の由来である。禰疑野神社付近には、鬼巌屋・土蜘蛛塚(土蜘蛛の墓)・血田といった、景行天皇の土蜘蛛討伐に縁のある遺跡が多く残されている。
本社の創立は、城原八幡社、宮処野神社の創立より推測して、應神天皇の辛卯二年(紀元九三一年)とされており、景行天皇を祭り、健磐龍神を配し、禰疑野大明神を崇め敬う神社とされている。
「日本書紀」 「豊後国風土記」 「竹田市史」 




長湯横穴墓群
直 弧文付き鹿角刀剣装具
現物はここにはない。温泉湯くみ場に写真がある。


烏天狗道祖神
09e1a4a0.jpg



詳しくは長湯町教育委員会で。



774822a5.jpg





次はコスモスを紹介したい。