『日本書紀』
斉明天皇紀
即位1年1月 西暦655年 飛鳥板蓋宮で斉明天皇即位。
即位1年5月 空に竜に乗るものが見える。
即位1年7月 難波で大勢の蝦夷と宴会。百済が(国家援助のために)贈ってきた(ペルシア人)建築博士や技術者らとも宴会。蝦夷の木工匠に冠位を与える。=飛鳥寺建設と古墳石棺のくりぬき技術や石造物の技術を得た。
即位1年8月 河辺臣麻呂が帰国。
即位1年10月 小墾田に宮を立てようとする。瓦葺きにしようとする。飛鳥板蓋宮が火災。飛鳥河原宮に移る。
即位1年 高麗・百済・新羅が貢ぎ物を献上。蝦夷と隼人が属国に。
即位2年8月 高麗が貢ぎ物を献上。
即位2年9月 高麗に使者を派遣。
即位2年 後飛鳥岡本宮を建てて移る。斉明天皇が宮を建てまくることが批判される。吉野宮を作るが火災。
即位3年7月 覩貨邏国(タイの国)から男女が漂流してくる。飛鳥寺に須弥山を作理、盂蘭盆会を設け、その男女を歓待する。
即位3年9月 有間皇子(孝徳天皇の子)は狂った振りをしていた(仮病?)。牟婁温湯に湯治に行って治った。斉明天皇は喜んだ。
即位3年 新羅に使者を派遣。新羅経由で中国へ行こうとするが新羅が断る。百済経由で帰国。石見国で白い狐を見たと報告がある。
即位4年1月 巨勢徳太臣が死亡。
即位4年4月 阿陪臣が蝦夷を征伐。
即位4年5月 建王(天智天皇の子で斉明天皇の孫)が8歳で死亡。斉明天皇が合葬を願う。
即位4年7月 蝦夷が朝廷に出向いて宴会。冠位などを与えた。沙門(僧)が新羅の船で中国へ行き、三蔵法師から習った。
即位4年10月 斉明天皇が紀温湯へ。建王の思い出を歌う。
即位4年11月 蘇我赤兄が斉明天皇を批判すると有間皇子が謀反を提案する。しかし謀反は中止。有間皇子を中大兄皇子が問い詰める。有間皇子は縛り首に。
即位4年 越国守の阿倍引田臣比羅夫が熊と皮を献上。沙門の智踰が指南車を作る。出雲国が奇妙な魚の報告。唐と新羅が百済を滅ぼす。

即位5年1月 斉明天皇は紀温湯から帰る。(現地の愛媛県道後にその証拠まったくなし。石碑は後年のもの)
即位5年3月 吉野で宴会。近江の平浦へ。吐火羅人が妻と舍衞(トカラ=ペルシアかタイ。舎衛は女中=メイドのことである)の婦人と来た。甘檮丘で陸奥と越の蝦夷と宴会。に阿倍臣が蝦夷国を征伐。
即位5年7月 坂合部連石布たちが唐に行き、蝦夷を見せた。西漢大麻呂の讒言により流罪となる。その後、朝鮮での戦争のために出国を禁じられた。出雲の神宮を修繕。狐がツルを噛み切る。犬が人の手を持ってくる。高麗の死者が熊の皮を敷いて客をもてなすが、客人は恥ずかしく思った。
即位6年1月 高麗の使者の乙相賀取文と100人が筑紫に停泊。阿倍臣が粛慎国を征伐。能登臣馬身竜が死亡。
即位6年5月 高麗の使者の乙相賀取文が難波館に到着。仁王般若の会を設ける。中大兄皇子が漏剋(水時計)を作る。阿倍引田臣を蝦夷を献上。石上池で須弥山を作り、粛慎と宴会。百姓が理由もなく兵器を持っている。
即位6年7月 高麗の使者の乙相賀取文が帰国。覩貨羅人の乾豆波斯達阿が妻を残して帰国。
即位6年9月 百済は役人と僧の覚従が来日して、百済の滅亡を報告。王は唐の捕虜となる。鬼室福信の抵抗。
即位6年10月 鬼室福信が日本に救援を要請。百済の王とするため日本の人質として居た百済王子の豊璋を求めた。
即位6年12月 斉明天皇は難波宮へ。鬼室福信に兵器を準備する。
即位6年 新羅征伐のための船を作るが、ひっくり返ったために戦争は負ける予兆ととらえた。また科野国ではハエの大群が現れたので、これも救援軍が破れる予兆と考えた。そのような動揺も。




ここから天皇、皇太子ともに飛鳥を離れ、百済救援のため筑紫へ向かう
即位7年1月 西暦 661年  修造した船が出発。大伯海で大田姫皇女が大伯皇女を出産。伊予の石湯行宮に到着。
即位7年3月 娜大津(博多)の磐瀬行宮に到着。
即位7年4月 鬼室福信が糺解を迎えたいと手紙を送る。
即位7年5月 斉明天皇は朝倉橘広庭宮に。宮を作るときに朝倉社の木を切ったために祟りがあった。耽羅が王子の阿波伎を派遣して貢ぎ物を献上。
即位7年6月 伊勢王が死亡。
即位7年7月 661年 斉明天皇が朝倉宮で崩御。
 
即位7年8月 中大兄皇子が葬式をする。朝倉山に鬼が現れる。
即位7年10月 中大兄皇子が遺骸を帰国させようとする。歌を歌う。遺骸が難波に到着。 遺骸だけが飛鳥に帰ったのである。皇太子以下は全部まだ筑紫にいる。
即位7年11月 遺骸を飛鳥で安置。





天智天皇紀
斉明天皇即位7年7月 唐の蘇定方と突厥の契苾加力が高麗の城下に到着。中大兄皇子が長津宮に移る。
斉明天皇即位7年8月 阿曇比邏夫連などを派遣して百済を救援しようとした。
斉明天皇即位7年9月 長津宮で中大兄皇子が豊璋に冠を授ける。多臣蔣敷の妹を妻に。狹井連檳榔などを5000人をつけて百済に派遣。豊璋を鬼室福信が迎える。
斉明天皇即位7年12月 高麗が唐の侵略を退ける。
斉明天皇即位7年 播磨国司の岸田臣麻呂が宝の剣を献上。百済の加巴利浜で火を焚くと、灰が穴になり鳴鏑のように鳴った。これを高麗と百済が滅ぶ兆候だとした。


天智天皇即位1年1月668年 鬼室福信に援助。

実際には即位していない。あくまでも天皇の代行であるが、『日本書紀』は即位元年としてある。
即位するのは7年後である。その間、飛鳥には大王が不在である。即位していたとしてもやはり大王は飛鳥にはいないで筑紫にいる。
実に奇妙だ。

天智天皇皇太子即位1年3月 百済に布を与えた。唐と新羅が高麗を征伐。高麗は大和朝廷に救援を要請。将軍を派遣してなんとか食い止める。
天智天皇即位1年4月 ネズミが馬の尾で子を産む。これを高麗が破れて日本に服属すると判断した。
即位1年5月 阿曇比邏夫連が豊璋を百済へ送る。百済を復興。
即位1年6月 百済は達率万智を派遣し献上した。
即位1年12月 百済の豊璋・福信が狹井連と合議。部下の進言を聞かず、都を移動させる。
即位2年2月 百済は達率金受を派遣して献上。新羅が百済に侵略し、結局都を元の州柔に戻す。
即位2年3月 日本が上毛野君稚子と27000人を派遣して新羅を討たせる。
即位2年5月 犬上君が高麗に行くと、そこで福信の罪を聞く。
即位2年6月 上毛野君稚子たちが新羅の城を取る。百済の豊璋は福信の手のひらに穴を開けて革で縛って捕らえて、結局処刑した。首は酢漬けにして保存。

即位2年8月 西暦663年 白村江の敗北。
福信の死を受けて新羅が都を取ろうとする。日本から救援1万人が来ることになっていると豊璋が言う。新羅が百済の都を包囲。唐は170隻の船で白村江に陣を張る。27日に日本と唐の船が出会って戦争になる。日本敗北。28日日本が乱れた兵で戦うが破れ続ける。百済の豊璋は高麗へと逃げる。
即位2年9月 百済の都の州柔城が降伏。百済の滅亡。百済の人々が日本に逃げる。

ここ、数ヶ月空白。

即位3年2月 天智天皇は大海人皇子に冠位を改めるように命じる。
即位3年3月 百済王の善光王が難波に。星が都の北に落ちる。地震。
即位3年5月 百済の劉仁願は郭務悰を派遣し献上した。蘇我連大臣が死亡。
即位3年6月 嶋皇祖母命(=天智天皇の祖母)が死亡。

いきなり鎌足再登場
即位3年10月 中臣鎌足が智祥を派遣して郭務悰に品物を与えた。郭務悰と宴会。高麗の大臣蓋金が死亡。
即位3年12月 郭務悰が帰国。淡海国の報告。
即位3年 対馬嶋・壱岐嶋・筑紫国に防人を置く。筑紫に水城を設置。
即位4年2月 間人大后(孝徳天皇の后・天智天皇の妹)が死亡。百済の官位を調べて、日本の位を授ける。百済の百姓四百人が近江国の神前郡に移住。
即位4年3月 間人大后のために330人が出家。百済人に田を与えました。
即位4年8月 長門・筑紫に築く。済州島から使者が来る。
即位4年9月 唐が使者を日本に派遣。
即位4年10月 菟道で検閲。
即位4年11月 唐の使者の劉徳高と宴会。
即位4年12月 劉徳高に品物を与えた。劉徳高が帰国。この歳、小錦守君大石を唐に派遣。
即位5年1月 高麗が使者の前部能婁を派遣して調を献上。済州島が王子の姑如を派遣して貢ぎ物を献上。
即位5年3月 皇太子、佐伯子麻呂連に病状を尋ねる。
即位5年6月 高麗の使者の前部能婁が帰国。
即位5年7月 洪水。
即位5年10月 高麗が乙相奄鄒を派遣して調を献上。
即位5年 この年に都のネズミが近江に向かって言った。百済の男女二千人を東国(=関東)に移住させる。倭漢沙門智由は指南車を献上。
即位6年2月 斉明天皇(=皇極天皇)と間人皇女を合葬する。大田皇女を近くの墓に埋葬する。皇太子(中大兄皇子)が言うには「斉明天皇の遺言で昔ながらの大きな墓を作らなかった。永遠にそうしましょう」
即位6年3月 近江に遷都。ただし百姓は遷都を嫌がり、批判した。
即位6年6月 葛野郡が白いツバメを献上。
即位6年7月 済州島が使者を派遣して貢ぎ物を献上。
即位6年8月 中大兄大和の都へ。
即位6年10月 高麗の長男の男生が中国へ亡命。
即位6年11月 百済の劉仁願が部下を筑紫都督府に送る。高安城・屋嶋城・金田城を築く。
即位6年閏11月 椽磨(済州島)に援助を行う。

斉明の死から7年でやっと天智は正式即位する。筑紫の滞在期間を入れると8年間飛鳥には大王が不在だったことになる。即位はしかし飛鳥宮ではなく近江宮であった。天智は飛鳥勢力には帰還を認められず、しかたなく近江へ逃避引きこもり、別の王家を作るしかなかったのである。

即位7年1月 668年天智天皇やっと即位。内裏で宴会した。博徳が服命。
即位7年2月 倭姫王を皇后に。蘇我山田石川麻呂の娘の遠智娘も嫁いで大田皇女・鸕野皇女(のちの持統天皇)・建皇子を産んだ。阿倍倉梯麻呂の娘も嫁いだ。蘇我赤兄の娘も嫁いだ。伊賀采女宅子娘も嫁いで大友皇子を産んだ。
即位7年4月 百済が調を献上。
即位7年5月 天智天皇が蒲生野で猟りをした。大海人皇子やその他の家臣たちが従った。
即位7年6月 伊勢王とその弟が1日違いで死亡。
即位7年7月 高麗が調を献上。風と波が強くて帰国できなかった。近江国が武を習う。牧場を作り、馬を放つ。越国が燃える土と燃える水を献上。宴会会場で魚が集まる。蝦夷と宴会した。舎人に命じて宴会をした。その時代の人は「天皇は天命を終わらせようとしているのか?」と言った。
即位7年9月 新羅が調を献上。中臣鎌足が新羅の使者に船を与えた。
即位7年10月 唐が高麗を滅ぼす。
即位7年11月 日本は新羅王に品を与え、部下を派遣する。道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが、途中で迷う。
即位8年1月 蘇我赤兄を筑紫率に任命。
即位8年3月 耽羅は王子の久麻伎を派遣して貢ぎ物を献上。耽羅に五穀の種子を与える。
即位8年5月 天智天皇が山科野で猟りを。大海人皇子と臣下たちが従う。
即位8年8月 天智天皇が高安嶺に城を作ろうとしたが、労役が厳しいから止めた。鎌足の家に落雷があった。
即位8年9月 新羅が使者を派遣して調を献上。
即位8年10月 天智天皇が病に伏せる中臣鎌足に見舞いに行く。藤原姓を与える。鎌足が死亡。
即位8年12月 大蔵が火災に。この冬に高安城を作ったことで田税を徴収した。斑鳩寺が火災にあった。この年、河内直鯨を唐に使者として送る。余自信・鬼室集斯を近江国蒲生郡に移住させた。唐が郭務悰と2000人を派遣した。
即位9年1月 宮で大射の儀式をした。マナーを規定し、妄言などを禁じた。
即位9年2月 戸籍を作る。長門城1つ、筑紫城2つを築いた。
即位9年3月 山御井で御幣を捧げた。中臣金連が祝詞をあげた。
即位9年4月 法隆寺に火災。
即位9年5月 奇妙な童謡が歌われる。
即位9年6月 村で「申」の字が記してある亀が見つかる。
即位9年9月 阿曇連頰垂を新羅に派遣。
即位9年 この年、水碓を作って治鉄をする。
即位10年1月 賀正の儀式。大友皇子が太政大臣に。蘇我赤兄が左大臣。太皇弟が詔して、冠位・法度を施行。大赦する。高麗が貢調する。百済が表を献上する。百済の臣たちに冠位を授ける。また動揺を歌う。
即位10年2月 百済が貢調する。
即位10年3月 黄書造本実が水臬を献上する。常陸国は中臣部若子を献上する。
即位10年4月 漏剋が新しい台に置かれ、鐘鼓が鳴った。筑紫で8つ足の鹿が生まれて死んだ。
即位10年5月 天智天皇が皇太子と臣と宴会をする。
即位10年6月 百済の使者が軍の要請をする。百済は貢調をする。栗隈王を筑紫率に。新羅は貢調する。
即位10年7月 唐の李守真が百済の使者と帰る。
即位10年8月 高麗の可婁たちが帰国。蝦夷と宴会。
即位10年9月 天智天皇が病気に。
即位10年10月 新羅が貢調する。内裏で仏の開眼式。法興寺の仏に宝が奉られる。
即位10年10月 天皇の病気が悪化。皇太弟(のちの天武天皇)を呼び出して、即位を求めるが皇太弟は固辞。皇太弟は皇后か大友皇子に譲って欲しいと言い、出家する。皇太弟は吉野へ。
即位10年11月 対馬から筑紫に郭務悰ら2000人が74隻の船に乗って朝鮮の比智嶋に来て、来日しようとしているが、通告していないと驚いて襲うだろう考え、あらかじめ朝廷に使者を派遣しようとしている、と情報が来る。大友皇子は内裏で蘇我赤兄たちと泣いて誓いを立てる。近江宮に火災。大蔵省から出火。天智天皇の前で蘇我赤兄たちが誓う。新羅が貢物を持って来る。
即位10年12月 天智天皇が崩御。殯をする。動揺が歌われる。新羅の使者が帰国。讃岐の山田郡で四つ足の雛が生まれる。8つの鼎が鳴いた。