常にあなたと反対のことを考えて生きている。

例えば蘇我氏なら、そういう殺され方をしたのなら、古代人は、かえって丁重に彼らを祭るのだ。

それは反対の見方をすれば、立派な祭られ方、巨大な墓を造ってもらえたものは、あとの時代の為政者から見て、祟る存在ではなかったかと言う視点である。






あるいは越境する視点についてもすでに何度か書いたが、郷土愛は分析の邪魔になるというのも逆転の視点である。







立派だから蕎麦らしいのか?立派にしつらえるには、それなりの逆の理由があったのではないか?





なぜ、君たちはそこに気付かないのかは、それはそれで面白い。