奈良の明日香村は過去、遠つ飛鳥と言われ、河内の安宿は近つ飛鳥と言われていた。皇極、孝徳大王の難波宮時代の話である。

奈良の飛鳥に有名な謎の石造物とされてきた鬼の雪隠・鬼の俎遺跡がある。考古学ではいま、ここはそれぞれ古墳の東西の遺構だとされ、それは古墳石槨の一部だったといわれている。







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これらが、どのような墓に使われる予定だったかは知らねども、もったいないことについに未使用のまま、打ち捨てられている。鬼の雪隠は、かつて行政が撤去しようとして切り刻まれ、宮内省が、これらは欽明天皇陵の倍塚だから残すように依頼して、ようやく今の形に残された。

飛鳥のこの一帯は蘇我氏系の方墳が集まった地域である。

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ご覧のように、梅山古墳~野口王墓まで、横一列に墓が並ぶ。

梅山古墳は前方後円墳で、宮内庁が欽明天皇の檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみ ささぎ)としている陵墓指定古墳だ。

西光慎二らは、鬼の雪隠および俎を、蘇我蝦夷・入鹿親子の墓に使われるはずだった石槨かも知れぬと言っているらしい。



ただ、最近の発掘からは、二人の墓そのものは甘樫そばの小山田古墳、菖蒲池古墳とする意見が優勢である。


しかし筆者には、もうひとつの異論がある。
近つ飛鳥という蘇我氏本拠地こそに、最終的に彼ら、祟るべき死に方をした蘇我本宗家一家の霊魂は、ひそやかに葬られたのではないかと。


つまり近つ飛鳥磯長谷こそは、大和明日香の蘇我氏居住地の「後ろ戸」の秘所ではないか?




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ここには聖徳太子の墓も、推古・竹田合葬改葬墓もある。多くの蘇我氏系方墳がある。そして推古・竹田のもとの陵墓植山古墳に阿蘇ピンク石石棺がからっぽで置かれていたように、蘇我氏と言う惨殺されてしまった氏族は祟るのだ。だからこの磯長のどこかにまだ赤い石棺があってもおかしくないだろう。