京都の地名と歴史をたどっていこうと、じっくり長考に入り、まあ、そのうち書けばいいか、春だもの・・・なんてずぼらかっこいていたら、この二週間で、いろいろな興味深い、推理趣味をくすぐる大きな問題が現代、古代、日常の季節の移り代わり、さらに著名人の死などのニュースに埋没させられてしまっていた。

なにより古代史では、新発見の巨大方墳・小山田古墳の被葬者は誰か?が話題になり、現代のニュースでは金正男氏暗殺の裏側や、豊洲問題で新たにそもそも築地市場の土地が、戦後のどたばたの中で実は汚染していたのではないかの問題、それにともなって小池知事は果たしてここまで政治と言えるほどの行動をしていると言っていいのか?あるいは首相夫人「うっかり昭恵」さんの、日本では戦後に死んだはずの、とんでもないポピュリズム復活・皇国史観学園騒動と、大阪府知事だった橋下氏とのアンダーグラウンドでの土地売買問題はあったか?までおまけがつき、ぶらタモリで大分県別府氏の山の手に存在した金山(かねてよりあるだろうと筆者ふんでいた問題)がテレビに登場(筆者、あのあたり山上に横穴墳があることを前からずっと探している。)。
鈴木清順、かまやつひろしの死。

などなど、まさに興味を引かれ、書いておかねばならない宿題が山積してしまったのだった。




金正男氏暗殺は、マスコミはマレーシアの警察側の報告に飛びつき、マレーシアの言うなりになって推理推測し続けている。これはひとつの不思議である。殺された人物が確かに金正男であるかすら実はまだ明確化できておらず、北が暗殺したかどうかも実のところまだ不確実だ。

そういう状況で、筆者は何も言うつもりもなかった。しかしここにきて、うすうす、マレーシア、韓国、中国の北の開放への思惑が見えるようになってきた気がする。正男が死んで、いったいどの国が得をするのか?金正恩が、果たして報道されてきたような悪辣非道な指導者なのか、それとも就任当初、西欧的開放社会を目指そうとしてが、旧態軍部によって傀儡と化し、言われるがままに「将軍さま」「独裁者」を演じさせられているのか・・・ダッポク連盟による開放北朝鮮政府のリーダーに祭り上げられるはずだった正男が死ぬことで、朝鮮国内にあるはずの既存世襲独裁政治に組しないアンダーグラウンド組織は、いかほどのダメージを食らったのか?はじっくり考える必要があるのではないか。

答えは三つある。
1 マレーシア主導の報道のとおり、死んだのは正男本人であり、暗殺は北がやった。そのさい、二人の外国人女性は単なるトリック・スターであり、実際に毒物を付着させたのは、空港画像のない6分間のすきまにホクセン工作員らが行った可能性。VXはたった一滴の付着でも命を奪える。すれ違いざまでも充分に殺傷できる液体の付着は可能であることは松本サリン事件前のVX冤罪事件で明白。ならば二人のはでな女性の行動のすべてはそれを隠すためのデモンストレーション的な「うその暗殺行動」であり、だとすれば彼女らの衣装のはでなこと、わざわざカメラに写って目立とうとした奇妙な行動も理解でき、さらに、ベトナム女性が手袋をしてやったというは正しく、マレーシア警察が素手だと言うのは間違い・・・いや、ベトナムとインドネシアとの友好関係を壊したくないマレーシアが、二人は「知らずにだまされてやった」としてしまいたい意図も見えてくる。マレーシアは、自国の自由主義的な世界で認められる国家像を描くことで、友好国である北を切り捨てたかったのではないか?その政治的意図の裏で、実は韓国を通じて今回の北の正男暗殺計画を事前に知り、泳がせたとも考えうる。そうすると、事件後、毎日のようにぞくぞくと犯人の名前や画像が暴かれていく劇的な展開も理解しやすくなりはしないか?あまりにも北の計画がざるで、ずさんで、どんどんマレーシア警察によって暴かれていくような錯覚は、どうしても以前から彼らをマークしていた雰囲気がありすぎる?


2 マレーシアと韓国は事前に暗殺実行を知っていて、実は正男の息の根を止めたのは北ではない?

マレーシアは書いたような政治的に世界に打って出たい意図があり、韓国には、自国の大統領スキャンダルから国民の目をはぐらかしたい意図がある?

3 北には実は保守派と開放派があって、北がやったとすれば保守派軍部の主導であろう。




築地土壌がそもそも汚染していた可能性。
これは戦後のどたばたもあり、それ以前も、日本はまだ未熟国家であったために土壌汚染や環境問題に無頓着であり、明治以来の関東での工業地帯跡地のすべては、戦火で焼かれたり、大地震で倒壊し、何も調べずに転用されてきた。これは世界中どこでも似たり寄ったりだろう。現在、たとえば薬品、ガス、化学物質、石油・石炭産業などで汚染されているはずの土地も、その産業が衰退すれば土地は転売され、豊洲問題が浮上しなければ、すべて何が建てられていたか知れたものではない。つまりちょっと前の公害問題でわかるように、人間は何か問題が起きなければそれに気付かないのだ。明治の足尾鉱毒問題や水俣水銀問題などいい例である。戦後、日本人はいったい何を食べさせられてきたか実はわからないというのが実情である。「それでも俺たちは生きているじゃないか」で通ってきたのである。

小池知事は何をしてきたか。
まだ彼女は政治らしい法案も何も可決していない。

都議会は都政を監視する国民の代弁者でありチェック機能であるのに、彼らもこれまで何一つ豊洲問題そのほかについて充分なチェックをしていなかった。つまり彼らも有罪なのではないのか?




小山田古墳は天皇陵ではありえない。それは方墳だからだ。方墳は蘇我氏の墳墓様式である。方墳が彼らの墳墓なのであるなら、蘇我氏は天皇家最初の外戚である葛城氏出身者ではない。ならば彼らはだれなのか?


それはイズモ系氏族、それも半島系のであるはずだ。
こんなことは論議するほどの謎でもなんでもない。
天皇、いや大王の墳墓は前方後円墳であったものが上八角下方墳へ変化した。変化したのは最初の天皇と言っていい天武以後のことで、前方後円墳時代の大王は天皇ではなく大王(おおきみ)である。そして天武以前の彼らが真に日本全土の大王だと言っていいのかどうかに大きな疑問符が昨今の学者たちによって打たれている。前方後円墳に天皇陵のものとしたのは戦前、宮内省、軍部、明治政府なのであって、その意見は皇国史観とそれを裏打ちする唯一の史書である『日本書紀』の思想である。そしてその『日本書紀』の史観とは、持統天皇以来の女帝系譜=傀儡政権の正当化のためにかかれており、どの古墳が天皇陵だという指定は、実は政治的な決めつけでしかないことを忘れてはならぬ。


いすれにせよ、蘇我氏は大王よりも巨大な墓を造ることのできた氏族である。つまりそのことは、その彼らの四代の馬子~蝦夷~入鹿の三代の期間、蘇我氏はもうひとりの大王だったということにほかならないのである。それゆえに滅ぼされた。ゆえにあとを受けて宰相となった藤原氏は古墳は持たず、目立たず、月の影の存在であろうとした。しかし不比等の子供の世代となって、藤原氏は蘇我氏の失敗を忘れ、親戚である橘氏とともに天皇を傀儡とするもうひとつの王家になろうと欲してしまう。そのことが聖武・桓武の平城京離れをひきおこし、南都は捨て去られていった。

このとき内裏に暗然として勢力を持ち始めたのが藤原氏と婚姻して宮を建設していった秦氏なのである。

つまり秦氏の日本史での台頭はこのときだけである。それ以前の記事はすべてあとから書き足されたものと言うことも可能である。蘇我氏と聖徳太子いや厩戸王家の裏にいた実力者秦河勝も。酒公、太秦公記事も、すべてあとづけである可能性がある。

つまり『日本書紀』そのものが、平安時代に、書き加え、書き換えを受けているという日本文献古代史最大のスキャンダルがこれである。


つづく


おまけ
秦氏の京都出現時代は双丘(ならびがおか)古墳出現期、つまり古墳時代4世紀に遡れる。
山城秦氏は数種類の系列がある。前、中、下、そして高崎秦氏である。これにさらに地方の秦氏がある。豊前、播磨、摂津、近江えち、讃岐などである。
彼らが山城から拡散する背景には、常に、新都建設による王家からの渡来人追い出し戦略があったはずである。特に実践的な技術者・祭祀者は時代を追って排除、あるいは有力氏族へ飲み込まれて消されている。残ったのは低い官僚だけだった。技術者たちは神社に巣食う神人へ転落させられた。

秦氏の祭祀の根本に、「験の杉(しるしのすぎ)」思想がある。それは神樹思想である。高木信仰でもある。だから杉の子服部秦氏とか、九州の高木信仰を持つ靫負日下部とか吉井町や日田市の的臣(いくはのおみ)など4~6世紀の熊襲壊滅部隊との間にに秦氏との婚姻記録があるのである。だから秦氏の登場は4世紀前まで遡らせてよい。

秦氏は蘇我氏とも、藤原氏とも、葛城・鴨氏とも、また出雲臣氏、土師氏、壱岐氏、小野氏、粟田氏、紀氏などとも婚姻しているはずである。ゆえに「はた」=多くの系譜を作り出したが、それらのすべてが秦氏と言う一本の系譜だったわけではない。あそこが東西あや氏と違うところである。



おわびの桜である。

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