聖徳太子は天智~光明皇后が、日本に仏教を定着させるために創作された、日本自前の聖人である。

中でも、持統から光明皇后・聖武までの王族にとって、ことにそれが大事だった。

天智にとっては、白村江敗戦による唐と新羅の連合軍が追いかけてくることへの、政治的団結を助けるための架空の仏教聖人だったのであるが、持統にとっては自らが藤原神道が造りたい皇国史観の傀儡としてのわが身を実はなげいており、その正反対の外国宗教である仏教に内心では帰依したかったはずである。ゆえに法隆寺金堂には持統が内々に作らせた仏像・・・が置かれていたようである。天蓋のあった痕跡がハリに残っている。

その後、反対側に救世観音を置くのは光明皇后だろう。それは不比等が死んでからのことであろう。不比等の目の黒いうちには、おそらく仏教は藤原京や平城京には仏像は置けまい。だから天智よりも、むしろ光明皇后と聖武天皇の時代・・・つまり不比等なき時代の、藤原暗黒時代に台頭した橘氏が強い時代でなければ、遷都も東大寺大仏も、まして救世観音もありえないことだったのである。まして蘇我氏の血を引く厩戸皇子は、蘇我入鹿によって斑鳩に封じ込められ、しまいには滅亡させられており、聖徳太子としてクローズアップするには絶好の素材であった。

民衆にとっても、得体の知れないインド・中国からの新興宗教などに、なかなか傾くはずもない。そこで光明皇后が厩戸を仏陀の生まれ変わり、キリストのように喧伝することがやがて民間での太子信仰を生むことになった。さらに祭祀には鬼を退治する修二会が新しく導入され、神仏を習合して同一化する政治的配慮もなされる。この鬼の祭りが、「師走」の元となる修験の所作を生むことになった。激しく右へ左へ旋回したり、走る所作こそは、「しわす」の12月に行われることで、民衆の厄払い迷信に寄与することとなるのである。

その結果、何が起こったかと言うと、民間で弘法大師=空海への信仰と、聖徳太子への信仰(まるで江戸時代のバテレン的な擬似的仏教であるが)のクロスオーバーした「大師講」の始まりである。法隆寺など国教として中央で執り行われていた「太子講」が、民間の大師講と合体して、仏陀の生まれた四月に、聖誕祭・花祭りの代行として始まったのである。


こうして聖徳太子は完全に、日本独自の仏教解釈の聖人となった。

いなかったはずのものが、蘇我氏の迫害から生まれでた。


しかし、藤原氏が平安時代に道長によって復活すると、救世観音はさらしでぐるぐる巻きにされ、夢殿に隠匿され、法隆寺の阿弥陀如来も一時的に隠された時代になったと考えられる。そのように藤原氏の国家統一理念には、あくまでも多神教や仏教などではなく、一神教・・・アマテラスによる皇室こそが神である考え方があったのだろう。それは明治~昭和の戦争と侵略と帝国主義・植民地主義の時代を生むことになる。筆者にとってアマテラスとはそういう存在でしかない。

宗教や信仰が、今後必要な概念かどうかにも疑問があるが、しかし人は弱く、頼りたい生き物である。必ずまたそれは復活するだろう。暗黒時代の直前に。アマテラスはスサノオ=災害を動かす摂理になるだろう。繰り返す。人類は戦争と平和を繰り返すのだ。


しかし、その前に、この地球こそは猛悪大魔神と変身し、人類を抹消するかも知れない時代になっている。地球自身が生態系をリセットしたくてたまらない。そんな現代である。神も仏も、宇宙の摂理の前には無力な「観念」でしかない。本当のタカミムスヒは決して『日本書紀』の不比等などではなく、老子の言う「道 タオ」の存在なのである。『日本書紀』というこざかしき書物、皇室などという日本だけの奇妙な王統を作り出した政治なぞ信じてはならないだろう。信じられるのは摂理だけなのである。全人類を動かせるもの、生かすも殺すも可能な力。それが摂理だ。



彼には全球凍結すら起こす能力がある。
彼だけが地球をリセットできる。
人類は滅びるために前に進み、進めば進むほど、地球を弱らせる。そしてやがて死滅して、新しいホモ種を生むだろう。人類進化は振り出しにもどる。

すでにすごろくゲームは過去4~5回も起こっている。

スサノオの子孫である惑星の衝突も起こるだろう。




われわれは大地に生きているつもりだが、実は危険な剣の上を歩いている子羊に過ぎない。すべての営みは一瞬で消え去る。家も土地も財産も、そして墓も。意味をなくす。それが宇宙の摂理の力である。聖徳太子もアマテラスも、そのとき何も役立たない。


所詮は人の考え出した偶像なのだから。