広隆寺の謎 5 ですでに書いたが、太秦由来だけを切り取って書き足し、再度貼り付けておきたい。検索を意識しての再掲載ですので特にナイスは無用です。







「うずまさ」とは、うづたかく献上物を差し出したから拝領したというのが文献にあるが、定かではなく、「うつ」と「まさ」に分けて考えるほうがいい。「うず」を渦高くとするなら、「まさ」は何だということにもなるし、山ほどの献上品を差し出す豪族などいくらでもいるのだから、それでは全員が太秦であってもいいのだから採用できない。

秦氏が織物や酒の開祖という説も、まったくあてにならない。織物・機織は呉服とも言うように呉国が嚆矢だったし、酒は百済のススコリが最初と『日本書紀』も書いたことで、どこにも秦氏がはじめとは書かれていない。空想とうそだらけの仮説である。

古代から近世にかけて、豪族や武士の地名名乗りは多い。ほとんどがそうだったと言って良かろう。すると太秦にも地名が関与すると考えてもよかろう。


グーグル翻訳でまず「太秦」を変換し、音を聴いてみた。
우즈마사
情報の修正を提案
ujeumasa
うじゅまさー

頭の「う」は聞えない音で、「つばさー」と聞えるが、発音を見るとちゃんと「うずまさ」である。つまり太秦を「うずまさ」と読むわけは朝鮮語発音そのままだからだ。しかしこれは日本の地名に変換した可能性があり、日本語が登録してあるからかも知れないので、もっとやってみよう。
対馬と入れるとまったくつしまではなかった。するとグーグル朝鮮語翻訳は日本地名をなぞってはいないことがわかった。ならば太秦は朝鮮でも「うずまさ」なのだ。

禹豆満佐と入れると
u du mǎn jwa
ゆーどぅーめんじょー
まったく音が違ってくるが、よく聞くと「ゆうづうまさ」ではないか?
融通王を思わせる。

ちなみに融一文字だと「ゆん」である。弓月君を日本で「ゆんずのきみ」と読ませるので音があう。音から当て字したかも知れない。

勝はスンイーで「すぐり」に近い。


その前にその意味であるが、当然朝鮮語で解釈せねばならない。

まず「うつ」は朝鮮語で「ウル」だから、朝鮮で表記は「蔚」。
蔚は鬱と同音異字で「うつ」と読む。漢字変換で「うつ」と入れると両方出てくる。ゆうつ、うっそうとしたという意味の漢字。

これは地名なら朝鮮半島の地名で慶尚南道のウルサン(蔚山)、あるいは慶尚北道のウルチン(蔚珍)である。于山・于珍とも書ける。このどちらかが秦氏の出身地だろう。

「まさ」は「勝」で、秦勝のことで、「かつ・すぐり」、つまり秦氏の族長である。
実例・辛嶋勝氏など

(大阪市や豊前市の勝山など勝のつく地名には渡来人由来が多いと言える。)

つまり「うづまさ」は従来の「宇津高く」ではなく、「朝鮮蔚山から来た氏族の王」と理解できる。

なぜ確信できるか?

●蔚山広域市
「蔚山広域市(ウルサンこういきし、韓国語表記:울산광역시)は、大韓民国南東部に位置する広域市。1997年7月15日に広域市に昇格する前は慶尚南道に属していた。市のスローガンは「Ulsan for you」。
※ちなみに熊本県に蔚山町あり。熊本県熊本市中央区新町一丁目、新町三丁目うるさんバス停。由来は加藤清正が朝鮮遠征で陣取ったのが蔚山城だったから。もしかすると清正が連れ帰った朝鮮人民を住まわせたのかも知れない??バス停に울산마치とわざわざ書いてあるそうな。

蔚山は
「三韓時代には辰韓に属して、西南部地域には于尸山国があった。中部地域には屈阿火村が形成されている。新羅時代には中部地域の屈阿火県と西部地域の居知火県、西南部地域の于火県、東北部地域の律浦県、南部地域の生西良郡があった。統一新羅時代の757年に屈阿火県が河曲県に、居知火県が巘陽県に、于火県が虞風県に、律浦県が東津県にそれぞれ改称された。」Wiki蔚山広域市



蔚珍=ウルチン、ウルチョン(于珍 うぢん)も秦氏出身候補地。



古代朝鮮地図
d6d61a76.jpg



ウルチン






いずれにしても慶尚北道・南道であり、海岸部であり、日本海に面している。しかも捕鯨と海士(あま)がいた地域である。海士は倭人に等しい民族。


しかしまずは日本に近いのは蔚山。旧捕鯨基地もあり、海人族の舟ならここが最適だ。捕鯨基地はここと日本の壱岐・対馬が有名である。壱岐対馬は日本最古で、海士がいて、しかもアマテラス=天皇家の影の側近を意味する月読神社もある。清正が入ったのもそういうえにしだろう。そういうところから「うち」の氏族の武内宿禰の「うち」もまたそもそもは「うつ」でよかろう。


それがなぜ日本で「はた」と名乗るかは明確。朝鮮語パタ=海・波、巨大。
たくさんいて、海から来たので。

波と翻訳に入れると朝鮮語発音は
pado
パドォーとなる。濁らないからパトーと聞える。日本語の「はた」にほぼ同じだ。





漢字「秦」を使ったのは始皇帝子孫をステータスにしたからだ。当て字である。

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