ヒトの手形のある先史時代の洞窟壁画一覧表
●エル・カスティージョ洞窟(全16ヶ所)
スペイン
48000年前









●ペシュ・メルル洞窟 Grotte du Pech Merle
フランス
約30000年~10000年前

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●ショーベ洞窟
南フランス
37000年以上前
画像http://www.afpbb.com/articles/-/3044946?pid=15607513



●スラウェシ島マロス洞窟
インドネシア
約40000年前

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スラウェシ島といえば民俗学ではこの建造物が有名
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昭和の民俗学者、人類学者がこぞって訪問した、日本人南方起源説の証拠だった舟の屋根の建物だが、現在の日本人起源論は、北方騎馬遊牧民縄文渡来説と中国江南長江文明人九州縄文後期渡来説、そして縄文後期の北方系半島渡来説の複数起源説が最有力となった。
日本人の祖先は海から北から南から、山ほど来たというのが整合。




●クエバ・デ・ラス・マノス(Cueva de las Manos、ラス・マノス洞窟、ガルバス洞窟とも)
アルゼンチン サンタ・クルス州
約9000年前
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●マルカズ洞窟 Mulka's Cave
北オーストラリア
8000年前
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●ワディ・スーラII洞窟
南西エジプト・リビア国境付近
8000年前

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これがトカゲの歩いた跡だと?
欧米学者は大学・アカデミズムにつかないフリーが多く、「神々の指紋」とかデニケンとか、喰う為にいくらでもうそを書くやからもいるから要注意だ。UFOとか超常現象で食っている「学者」が山ほどいる。ほとんど詐欺師である。









人類学は欧米中心主義
アジア発の人類起源多元論を待つ




動物・人物などが描かれた洞窟壁画はアフリカ北部、南欧州、東南アジア、オーストラリア、南米と、世界各地にある。
その中にヒトの手形を描いた洞窟が、動物・人物壁画群の中の一角にある場所がある。

けれど世界中の動物・人物壁画洞窟のすべてにそれがあるわけではない。
そこでヒトの手形がある洞窟だけを一部だが一覧にしてみた。同じものがその一帯に何箇所かあるところもある。それらをあわせると、今のところ世界中で30~40箇所の人の手型壁画洞窟が見つかっている。

最古のものがなぜか人類発祥の地であるはずのアフリカではなく、スペインやフランス南部といった地中海沿岸地帯と東南アジアのインドネシアに集まっている。欧州ではそれらはネアンデルタール人が描いたという説が支持され、東南アジアの壁画はアボリジニになったホモサピエンスあるいはホモ・エレクトスの血を引くジャワ原人?の子孫だと言われているようだ。

こうした考え方は、あくまでも欧米科学者の考え方で、アフリカ、欧州を中心とするホモサピエンス=クロマニョン人とか、ネアンデルタール人=アフリカ発といったいわゆる人類アフリカ起源説という欧米型一元論を中心とした発想・仮説に過ぎない。

その年代の古いのが、アフリカではなく南欧と、まったくかけはなれた東南アジアであることは、手形で共通するからといってすべてがネアンデルタール発の旧人の手になるものとはいえなくなったことを、欧米科学者は決して言わないというだけのことだ。それにオーストラリアで見つかる手形をアボリジニのものというのもオーストラリアが英国領だった白人の国家だからである。ならばなぜオーストラリアの壁画の年代は最も新しいものなのか。道のりのはるか海を越えて先にある南米アルゼンチンのほうが千年も古いのか?人類移動の道程として矛盾している。

これらの年代推定はあくまで欧米科学者の考えた仮説年代に過ぎない。むしろ東南アジアのほうが古かった可能性もあるだろう。

アジア人として、なぜ東南アジアのスラウェシ島に最古級の手形壁画があるのかを考えてみると
、ロシアのバイカル湖デニソワ洞窟で見つかっているデニソワ人のDNAを、寒冷化で南下した旧人と新人の混血種族が引き継ぎさらに南下し、中国南部の柳江(りゅうこう)から海南島、台湾、インドシナ半島、ボルネオ、ミクロネシア、トンガ、ハワイへと舟で移動してという仮説である。

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彼らは台湾から八重山諸島を経て沖縄まで行ったとみられる港川人の先祖であり、台湾の高山(高砂)族やフィリピンやインドシナ人やミクロネシア人と同祖だった可能性も考えておかねばならない。それはアボリジニと同じだったかまだはっきりとは言えないのだ。

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そしてNHKの番組では日本人と彼らを結び付けようと言う意図があったらしいが、番組の結論としてはまったく日本人とは結びつける要素がないということ。アボリジニまではよかったが、そこから沖縄にも日本本土にも、何も洞窟壁画はなく、もちろん手形も見つかっていない。そのことには一切触れないのである。都合の悪いところ、わかっていないところをうやむやにして、無理に日本人と手形壁画種族wつなぐのはいつもの強引な手法である。

大事なことは、手形壁画がその描いた手法が欧州とも豪州ともエジプトとも一致し、しかも東南アジアのほうが古い可能性があること。欧州のネアンデルタール説、豪州のアボリジニ説だけでは解明できないことである。


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言語で考えれば日本人もスンダランド海洋民族



東南アジアの壁画制作者がネアンデルタールと同時代の旧人であったデニソワ人とホモサピエンスとの混血人だった、あるいは旧人エレクトスは絶滅せずにデニソワ人だったといった新説が、今後アジアの科学から出てくることが望ましい。

そもそもホモサピエンスが欧州のクロマニョン人一種類だったという一元論が、すでに古いのではないか?