西村卓也京都大准教授(測地学)の話
「今回の地震は地下の浅いところで起きたいわゆる直下型地震。大阪府北部から兵庫県・淡路島につながる『六甲-淡路島断層帯』で起きた地震であれば、平成7(1995)年の阪神大震災の余震かもしれない。また、神戸市北部から大阪府高槻市に延びる『有馬-高槻断層帯』が関係した可能性もある。震源周辺には活断層が多く、近年の観測で地下にひずみが集中していると分かっていて、いつ地震が起きてもおかしくない場所だ」
https://www.sankei.com/west/news/180618/wst1806180029-n1.html




 日本政府 地震調査研究推進本部
 「大阪府に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅いところで発生する地震と、太平洋側沖合で発生する地震です。

大阪府周辺のわかっている活断層と被害地震図
   大阪府とその周辺の主な被害地震   (図をクリックすると拡大表示)

ご注意!あくまでも現在わかっている断層帯である。まだまだ見えない断層帯が隠れているかも知れない。



大阪府とその周辺の主な被害地震  陸域で発生した被害地震を見ると、慶長伏見地震とも呼ばれる1596年の地震(M7 1/2)の被害は広範囲に及んでいますが、大阪府内では、堺で死者600余名とされています。1936年の河内大和地震(M6.4)では、府内で死者8名などの被害が生じ、地面の亀裂や噴砂・湧水現象も見られました。その他に、震源の詳細は分かっていませんが、1099年(規模不明)などにも被害の記録があります。

  大阪府は、太平洋側沖合の南海トラフ沿いで発生する巨大地震による被害も受けることがあります。例えば、1854年の安政南海地震(M8.4)では、大阪湾北部で高さ2m程度の津波が襲いました。また、木津川・安治川を逆流した津波により、船の破損、橋の損壊、死者多数(7,000名など諸説ある)などの被害があったとの記録があります。1707年宝永地震の時はさらに大きい津波に見舞われました。

宝永地震では旧大和川流域だった河内平野で特に倒壊被害が大きくなりました。また、1944年の東南海地震(M7.9)で死者14名、1946年の南海地震(M8.0)で死者32名などの被害が生じました。南海トラフ沿いで発生する巨大地震は安政や昭和のように東海地震と南海地震と二つに分かれて発生する場合と、宝永地震のように1度に全体を震源域として我が国最大級の地震が発生する場合があります。大阪府は、そのいずれの場合でも、地震動や津波による被害を受けることがあります。

  1927年の北丹後地震(M7.3)や「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(M7.3)のように周辺地域の浅い場所で発生する地震や1952年の吉野地震(M6.7、深さ約60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する地震によっても大阪府内で被害が生じたことがあります。

  大阪府の主要な活断層は、北部に兵庫県から京都府まで延びる有馬-高槻断層帯と、それに直交するように京都府から延びる三峠・京都西山断層帯と奈良県との県境付近に延びる生駒断層帯、府西部に延びる上町断層帯があります。北部には兵庫県との県境付近から淡路島にかけて延びる六甲・淡路島断層帯と、大阪湾内に大阪湾断層帯が延びています。奈良県・和歌山県との県境付近には、紀伊山地北部から和歌山県北部に延びる中央構造線断層帯(金剛山地東縁-和泉山脈南縁)があります。

  また、大阪府周辺に震源域のある海溝型地震はありませんが、上述のように、南海トラフで発生する地震で被害を受ける可能性もあります。

  大阪湾沿岸や淀川の流域周辺では地盤がやや軟弱なため、周辺より揺れが強くなる可能性があります。

  府内42市町村(北端の能勢町を除いた全府)は、南海トラフの地震で著しい地震災害が生じるおそれがあり、「南海トラフ地震防災対策推進地域」に指定されています。 」
https://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p27_osaka.htm

※この政府関連サイトには、近畿地方の主要各活断層や海溝の地震が近畿に及ぼす影響と発生確率、さらに過去の近畿で起きた主な地震の一覧と結果などが一覧表で示しており、役に立つ。

この地震本部トップページから全国の同様のデータにアクセスできる






今回の地震は、図で見る限りでは、枚方市・高槻市近辺で合流する二つの活断層(生駒断層帯と有馬-高槻断層帯)の、ちょうど合流地点である淀川北河内・北摂での発生と判断できるだろう。実に不思議なのは、そこはちょうど淀川の三川合流地点である八幡・大山崎に隣接する淀川の真ん中である。





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淀川の三川合流地点
左・京都府八幡市男山、その奥が枚方市
右・大山崎、その奥が高槻市
中央・背割堤(せわりてい)


河川は
手前右・桂川(保津川・鴨川合流後)
中央・宇治川
左・木津川
最奥が三川が合体した淀川

筆者は都合10数年、ここに住んだ。知り合いも多い。
中規模地震だったとは言え、どんな被害が今後出てくるか?
これがさきざきどのようなカタストロフィの引き金になるかも知れないのだ。



枚方市は筆者も住んだ場所で、淀川をはさんで対面する高槻市や茨木市には大学時代の友人や妻の妹夫婦、あるいは歴史愛好者の知人など多数の知己が住んでいる地域。今回、最初の地震速報後に、京都、高槻、枚方、堺のそれぞれ知人にネットサイトアクセスによる状況確認した。

するとおおまかに、大阪の北部と南部の被害状況に大きく相違があるのが見えてきた。堺の人の言うには今回の被害は北大阪方面に集中し、南部ではたいした被害がないことがわかった。また京都市内の人は、数度目の揺れの際、外にいたが、気持ちの悪い揺れ(横揺れか?)だったと言う。また高槻市の人は、揺れは大きかったが食器が割れた程度との話だった。

阪神淡路大震災のとき、筆者はすでに前年に京都から大分に戻っており、地震を肌で感じることは運よく無かったが、兄が神戸にいて、マンションの上階が一階まで、床ごと落ちて、上階にいた兄と息子は這い出して、歩いて大阪の事務所まで避難した旨聞いている。

それと比べると今回はかなり軽度の地震だと言えるが、古い住宅地のある京阪地域や、もともと淀川河川敷平野である北摂で、死者も出る被害が出たようだ。高槻市には有馬―高槻断層帯の東端が景勝地として露出する摂津峡がある。地形も、仕事で、よく箕面から丹後へ抜ける道を使っていたので地形もよくわかる。また古代史探訪でも、茨木・高槻は数年前によく訪れている。継体大王の今城塚古墳や藤原鎌足の阿武山古墳、土師氏の埴輪窯跡、筑紫津神社など、貴重な遺跡が多い。枚方市も継体大王や滅亡百済王家のゆかりの土地である。それら遺跡が今回どれくらい影響を受けたのかも気になる。

歴史的には、過去、大阪では上町断層帯の変動が縄文時代以降頻発していた。今回は、過去の地震では慶長年間の慶長伏見大地震のような、今回地震と同様に、北河内や北摂津でも大きな揺れを引き起こしたであろう二つの断層帯での動きであった。地震考古学的にはこの地震では高槻市にある今城塚古墳などが大きく被害を受けたと思われる。http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/imashirozukakofun/1327498932196.html

今城塚古墳の伏見地震による地震被害状況



慶長伏見大地震
文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)子の刻
現在の京都・伏見付近で発生した大地震
京都では伏見城[注 1]天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1,000人を超えた。

この大地震は、京都だけでなく、今回揺れた北摂地域(摂津三島と呼ばれた三島郡・・・現在の茨木・高槻・箕面・吹田一帯と豊能郡豊能町の一部(高山)や京都に隣接する島本町まで含む淀川北西岸地帯)にも大きな被害をもたらした。その痕跡は京都市、長岡京市、向日市、高槻市などに存在する大古墳の発掘から地震考古学で明らかにされている。

規模としては、テレビ画像でしかわからないが、地震の大きさは熊本―大分地震に近い規模だろうが、被害はそれより少なそうだ。おそらく阪神淡路大震災以降、近畿地方では全国に先駆けた地震対策が根付いてきたためであろう。しかし、一方で、いずれも崩壊したブロック塀などの、鉄筋のない付加部分が壊れ、不幸にも少女が死ぬことも起こった。おそらくこの二箇所の死者を出したケースは、人的な事件になる可能性があるのかも知れない。幼稚園の塀に限れば、崩壊したのは最近付け足したプール隠しのための工事で、鉄筋がなされていたかったように見えた。古い下部ブロックにこれといった崩落が無く、そこまではちゃんと鉄筋してあるのだろう。すると幼稚園側の園児のための付加工事が裏目に出たとも考えられ、手抜きだった可能性、園が金を惜しんだといった人的要因の可能性をおそらく警察が疑わないはずがないだろうと思える。するとこれは事故ではなく事件になるかも知れない。

これでよくわかるのは、外に出るのはよいが、塀やビルの付加物落下による副次的な死亡事故が非常に危険だということである。つまり総括的に言うなら地震対策の見落としが大地震を経験したはずの関西でもまだまだあるということだろう。ならばそれは東北でも、熊本でも、鳥取でも、まだあるだろうという憶測を生む。行動的には人工の建造物は、頑強に見えても近寄らないということになるだろう。非難は極力広い場所へである。

北摂・北河内で起きた今回の大地震が、今後、どのように列島各地に影響してゆくかは筆者にわかろうはずもない。これが阪神淡路の余震であるという地震学者の意見も出ている。とするならばなんという長い時間の余震だろう。大分耶馬渓で起こった滑落事故もあり、日本はいつ何が起こるかわからないことになってきたという観が強い。広い視野では、環太平洋を一周するリング・オブ・ファイアーでは、今後なにが起きても不思議ではない。対岸の火事と思わずに、世界の災害や噴火に注目しておいたほうがいいのは言うまでもない。災害は隔たった地域にも影響を及ぼす。研究はテリトリーや国境や県境をはるかに越えてやってくるを、肝に据える必要がいよいよ高まった。千葉沖地震との関連をただ「ない」と言っていいのかどうか、研究者はもう一度子供になってよく考え直していただきたいものである。