中国人口の約93%を占める主要民族。中国国内の人口は10億3918万人(1991)。原中国人と呼ばれる漢民族の祖先は黄河中流域に興り,殷・周時代には黄河下流域へ,春秋・戦国時代には四川へと広がった。さらに多くの王朝の興亡とともに,中国に侵入した多数の異民族をも同化していったとみられる。したがって文化一般,言語(中国語)にも地方的特色が著しい。一方で,古代伝説の黄帝につらなる中華文明の伝統に強い帰属意識をもち(中華思想参照),儒教や道教,漢字といった共通の文化要素も多い。→華僑(かきょう)
→関連項目中華人民共和国
出典 株式会社平凡社/百科事典マイペディア

かんみんぞく【漢民族】

漢民族と一般に通称されている民族とはいったいどんなものなのであろうか。彼らが漢族とも漢人とも呼ばれていることは周知のことである。かつて李済は《漢民族の形成》という著書を著しているが,まさに漢民族と汎称される民族の構成はきわめて煩雑であり,その言葉の持つ意味のとらえ方も多様である。ただ漢民族といわれる集団がどのようにして形成されてきたかということを推測してみると,おそらく往古より肥沃な黄河の中・下流域地方を中心とする華北の地に,それぞれ系統を異にした諸民族が,おのおの固有の文化を持ち寄り凝集し,相互に接触を交わし,その異文化の集結によって生じる文化摩擦のエネルギーが燃焼して,おのずと相互の文化が融合し,あるいは変容をとげて,特異な高文化を作り出したものに相違ない。
. 出典 株式会社平凡社/世界大百科事典


漢民族
かんみんぞく
Han-Chinese

民族意識のうえで中国黄河(こうが/ホワンホー)中下流域の中原(ちゅうげん)地域を原郷と考え、沿岸諸島嶼(とうしょ)、東北地区にも移住して生活し、海外ではとくに東南アジアを中心に、中国籍の華僑(かきょう)、移住先諸国籍の華人として、世界各地に居住する世界最多人口の民族。漢族、漢人ともいう。中国国内の人口は13億人余りとされ、うち漢民族は約92%を占めるといわれている(2010年センサス)。[渡邊欣雄]
民族と言語目次を見る
漢民族はおよそ紀元前10世紀ごろ、西北の中央アジアから中原地域に周という部族が移動定着し、徐々に周辺諸部族を統合していく過程で形成されたとされる。「民族」という概念は、ヨーロッパ近代の影響で初めて認識されたカテゴリーであるから、むろん周代に漢民族が存在したわけではない。漢民族が自他ともに民族として認識されたのは日清(にっしん)戦争以後であり、中国国内の少数民族との相対において自覚されたのである。したがって近代に形成された漢民族は、それ以前のおよそ3000年にわたる諸集団との融合によって形成されてきたといえる。言語の漢語は漢民族という概念の成立以後、北京(ペキン)官話を共通語として採用したものである。漢語はシナ・チベット語族に属し、多くの方言に分岐している。しかし、およそ3300年前から用いられた甲骨文字以降の文字が「漢字」の名において連綿と用いられてきており、国家統一に役だつとともに、漢字も統廃合がなされてきた。漢民族の成立とともに、漢字は漢民族固有の文字と考えられるに至る。[渡邊欣雄]
農耕文化目次を見る
「北京原人」の名で知られるように、中国には前期旧石器時代以来の人類が生活していた。漢民族の母体としての文化の淵源(えんげん)は、長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン))流域に同様の古さの農耕文化があったにもかかわらず、彼らの意識のうえで黄河流域にあった新石器時代の農耕文化に求められてきた。彼らの歴史認識によれば、以後この華北の原郷から周囲の諸集団、ことに長江流域以南の異部族を包摂していく過程を通じて、地方色のある独自の文化を発展させてきたと考えられている。
 漢民族の大部分は灌漑(かんがい)農耕による集約的定着農耕民である。華北は麦、アワ、コウリャン、トウモロコシなどの畑作穀物やジャガイモを主として栽培しているのに対して、華中、華南では水稲耕作とサツマイモの栽培が盛んである。こうした栽培作物の多様性と高度の料理技術とが結合して、地方色豊かな中華料理を生み出してきた。住居も、東北地区や華北の防寒を目的としたれんが造りや土造りの平屋家屋が多いのに対し、華中、華南では防暑、防湿に重点を置いた2階建て木造家屋が多いなど、環境に即した生活様式が認められる。[渡邊欣雄]
社会と宗教目次を見る
漢民族の社会は伝統的に父系出自集団がその基礎をなしている。子供は父の姓を名のり、結婚後も妻は生家の姓を保つ。一夫一婦制で夫方居住が通則であるが、同姓の男女は結婚できない同姓不婚の原則があった。同祖同姓の一族は「宗族(そうぞく)」とよばれ、祠堂(しどう)に共祖を祀(まつ)り、族長が数百、数千人の族員を統轄している。漢民族の宗教は儒教、仏教、道教の3教、あるいはこれにイスラム教、キリスト教を加えて5教とされるが、基幹宗教は「敬天崇祖」の民俗宗教である。崇拝の対象である諸神には最高神である玉皇上帝(ユーファンシャンティ)をはじめ幾多の機能神がおり、人々の現世利益(げんぜりやく)の対象となっている。また祖先崇拝は漢民族社会の宗教的根幹をなすものであり、さらに悪鬼、邪霊の防除を行う祈祷呪術(きとうじゅじゅつ)も宗教生活に欠かせない。このような漢民族の社会と宗教の伝統は、1949年の中華人民共和国成立以後、大陸では幾多の変革を受けたが、改革開放政策の実施以後復活を遂げた。[渡邊欣雄]
『石川昌著『中国を知る事典』(1981・日本実業出版社) ▽橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(1983・山川出版社) ▽曽士才・西澤治彦・瀬川昌久編『アジア読本・中国』(1995・河出書房新社)』
[参照項目] | 華僑 | 宗族 | 北京官話 | 民族意識
. 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
kotobannku https://kotobank.jp/word/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F-49670


中国を知るには現在では人口の92%を占める漢民族の歴史を探る事が有効と思われる。
 以下、著書「漢民族と中国社会」~橋本萬太郎から抜粋要約してみたい。
 漢民族の定義
 >漢民族とは一番わかりやすく言えば「漢字を識っている人々の集団」である。漢民族とは言語とその文化を通じて華北中原地方を中心とした何千年にもわたる周辺民族と同化統合の結果の集合体とも呼べる。
 漢民族と他を区別する華夷思想というものがあるが、その思想の中心は漢字を受け入れその背後のいわゆる「中華風」の生活をしているかどうか、中華風の農耕経済を営んでいるかどうかで分かれる。
 漢民族の起源
 >漢民族は今、確実に知られているかぎりでは、紀元前10世紀ごろ、おそらく西北方の中央アジアから「中原地方」といわれる大陸の中心部に入ってきた周という部族が黄河流域に定着し、徐々に周辺の諸部族を同化してゆく過程の中でできあがったものである。「中原」とはここからここまでとい決まった地域のことではないが、黄河中下流域で古代から漢民族の政治的・文化的中心部隊となった地方を言う。
 華北のもっとも肥沃な平原地帯でもある。
 漢民族の統合
 >西北から中原地方に入ってきた周部族の人口など、今日から見ればたかがしれた数であったろう。だから漢民族とはそのかなりの数がこのように民族的に同化された集合体であるといってよい。われわれが今日いうような意味での国家などとはケタのちがったスケールで、民族としてのまとまりを考えてきた。相互にことばが通じるとか通じないとかといった問題は、二の次であった。しかし同化民族であったからこそ、逆にその文化的なまとまりは、驚くほど整合的であった。その点でいえば今日のアメリカ合衆国に似ているところがある。
 漢民族は被侵略の歴史
 >漢民族の政治史は極端にいうと、古代以来北方民族からの不断の侵略の歴史である。第一に周そのものが西北からの侵入者であり、それ以後でも4-5世紀には五胡、5-6世紀には北朝、10世紀の遼、12-13世紀の金、13-14世紀の元、17-20世紀の清と歴史の主要な動きは全て北方からの侵入者によってひきおこされている。北方以外の侵入はわずかに西方から8世紀に吐反があったがこれはほんの一時的なもので、漢民族の形成には大きな影響をおとしていない。万里の長城が華南や華西にないのも、ゆえなしとしない。
-------------------------------------------------------------
漢民族とは漢字文化を介在した周辺多民族の統合の歴史である。その起源は北方の侵略部族である周から始まった。そしてその歴史の大半が北方部族からの不断の侵略の歴史である。
 漢民族が多民族の集合体であることは同時に中国そのものが支配と服属の歴史である事を物語っている。
 西洋の国家統合が皆殺し支配であったのに対して東洋が服属で国家を拡大していった点は中国史からも見て取れる。(しかし漢民族内部では紀元前0年を挟んで人口を半減させるような反乱が起きているが)
るいネット135969 漢民族とは何だろう? 田野健 HP ( 46 設計業 )
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=135969 
 

中国の歴代王朝を見るとほとんどは北方異民族による国家であふれている。秦も隋・唐も北魏も元も清も、ほとんどが騎馬遊牧民が建てた国家と言えなくない。そうでなかったのは海人族国家だった呉越もある。周・漢民族が建てた国家は周と前漢だけなのではないか?とさえ見えてしまう。その漢さえ詳しく見れば違うのかも知れまい。

では、漢民族とはナンなのか?
現在の中国で言う漢民族とは、政治的概念でしかなく、遺伝子や人種が特定できるわけではない。中国は文化大革命が終わるまで混沌とした混血社会で、ほとんど考古学や遺伝子による自分たちの客観的把握をおざなりにしてきた。だから中国人にさえ漢民族のルーツがわからない状態である。そもそも華北、中原には先土器時代にすでに農耕が始まるが、それは長江文明のような稲作ではなく、粟・稗・コーリャンなどの乾燥地帯向きの畑作穀物である。当時の華北先土器人の先祖はヒマラヤ北周り系遊牧民モンゴル民族であろうか。南回りの民族はチベット経由で長江へ入っていたが、やがて華北黄河文明を築いた漢民族に侵略され、四散させられた。チベットやベトナムへ逃げた人々の遺伝子が、日本人遺伝子に共通するD系であった。