竹原古墳
福岡県宮若市若宮町竹原 諏訪神社境内
6世紀後半
南向き横穴式石室
円墳, 17-18m
副葬品や死体の歯が大小二種類に分かれていることから、男女2人の死者を安置したものと推定
国指定史跡、1957(昭和32)年指定

■開館時間 午前9時から午後4時まで
■休館日 月曜日(ただし、月曜日が祝祭日の場合は翌日)

直径17.5m・高さ約6m、2段築成の円墳。埋葬施設は南に開口する横穴式石室で全長約6.5m、玄室・前室・羨道で構成される複室構造で、後室部は長さ約2.7m・幅約2.2m・高さ約3m、前室部は長さ約1.2m・幅約1.6m・高さ約2.2mを測る。

●副葬品 
金環(耳飾り)x2、
銀製耳飾りx2、
ヒスイ(硬玉)製勾玉、
水晶製勾玉、石英製勾玉、
銀製鈴玉x9、
コハク製なつめ玉、
ガラス製玉類など (首飾り)、
黄金細金、
銅製細金

 轡(くつわ)、
鏡板、
杏葉(ぎょうよう)、
雲珠などの馬具
金銅圭頭太刀柄頭、
鉄製武器、
ただし画像は一切ネットには公開されてない。発掘が古すぎるからか?

●金銅圭頭太刀とは?
古墳時代の刀装形式の一種。柄頭(つかがしら)の形が中国の玉器の圭(けい)に似ているところからその名がある(しかし現物はまったく圭に似ていないKawakatu)。先端が山形をなすが、円頭柄頭(えんとうのつかがしら)と区別することが困難な場合もある。[村井雄]
ほとんど円頭と同じだと言える。


最上段が圭頭太刀

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これが圭
まったく似ていない。
円頭に対して若干角ばった圭頭柄で、大差がわからないものも多い。
圭は便宜的についた名前だろうが、類似性があまりに遠い。むしろ滑角とでも?

ただ、圭頭太刀は騎馬遊牧民が使った太刀ではないかと思われる。まだ理由ははっきりとは言えないが・・・。






こんな感じの柄だろう。

柄がトネリコ製なら北欧神話のオーディーンを思い出すが。


●周辺と墳丘見取り図

石室は南に向く


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つまり北壁面に龍馬が描かれており、四神相応の位置にない。ということはこの龍馬は陰陽五行の青龍というのは間違っている。
青龍は東に描かれねばならない。

北=玄武
南=朱雀
西=白虎
東=青龍

玄武と朱雀が全面支柱部にあると言われているが、絵柄は剥落し、確定できない状態。
                  北
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西                 南                  東


これではまったく絵柄が判明できない。
しかも四神であるなら、西の白虎がどこにも見当たらない。紛失した?閉塞石に描かれたか?
しかし四神だったとしても方位がばらばらで、従ってこれらは四神だと断定不可能である。

従ってこの聖獣は龍ではない。
すると金関丈夫(かなさき・たけお)の説である龍馬でよいか?となる。
山口博はこれを狼とし、騎馬遊牧民にある狼祖、犬祖伝説民族とする。
後述。



●装飾パーツの見直し
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1 さしば
さしばは陰翳の翳(えい・かげ)一文字で表すので、貴人の日よけである。大きなものが「さしば」、小さく携帯できるものが「団扇 だんせん」つまり「うちわ」である。







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千葉県金鈴塚出土さしば埴輪


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2 龍馬
龍媒説は金関丈夫の仮説である。
竜媒とは、水辺に雌馬を連れてゆき、天馬竜神の精を受けさせると優駿名馬が生まれるという中国の思想。『漢書』礼楽志にある「郊祀歌 こうしか」にある第六句「天馬はきたる竜の媒」に由来。

「太初四年、大宛王を誅して、宛の馬を獲て作る。天馬は来たる西の極より」
大宛国とはフェルガナである。新羅の姫を娶り、歩揺金冠を極東へ広めた国。ここには至上の名馬であるという汗血馬(かんけつば)がいた。

今のタジキスタン・ウズベキスタン(サマルカンド)・キルギス全部合わせた地域の王。つまりスキタイ王である。スキタイ民族はペルシア人とコーカサス人とトルキスタンなどの混血種族で騎馬遊牧民。少し離れるが相撲の栃の心のような顔つきの人たち。女性は緑の目の碧緑人。気性非常に荒らし。スサノオ的民族。 


スキタイ系王冠
のちの日本の二山型金冠のもとになる形状。

しかし、一方で
『漢書』で学者の応劭(おうしょう)の言として
「天馬はすなわち神龍の類を言ふ。今すでに天馬すでに来たる。此れ龍の必ず至るの効(しるし)なり」とある。

つまりこの竹原の竜は竜馬であろう。主人がモンゴルから小型メス馬を舟で持ち帰って、竜馬・竜神の精を受けさせた・・・。この竜馬はよく見ると口から炎かなにかを吐き出している。

上記のように、四神説は完全否定する。



3 人物の衣装

みずら
衣冠
ちょうちんズボン
先とがりの靴


白人貴族の騎馬ズボン



王様のちょうちんズボン




鎌倉武士の履



王様と私のちょうちんズボン



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唐本御影の某太子像の履






倭人の角髪とズボン
しかし神話はいいとしても、倭人はこんあ格好してはいなかったわけで、なんの証拠もない姿だ。画家が勝手に描いた常識の嘘だろう。何を根拠にした服装なのか?



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先の尖った靴はアラビア人の専売特許ではない。魔女もそう、朝鮮では靴下がそう、漢民族でも尖っているし、日本の衣冠束帯でも尖った靴を履く。スキタイも履く。
西欧では尖った靴は異文化、異界の象徴である。




だからこの人物は国籍不明。
みずらはイスラエル~日本まであるし、先とがり靴はスキタイというより胡人衣装あが、その胡と言う範囲が不明で特定できない。ペルシア人なら波斯だろうし、月氏の国々ならスキタイだが、朝鮮人にも胡を使う。中国で胡は西域全土でトルコまで入る。広くてわかりずらい。頭の冠は羽飾りかも知れない。ヒント不足。服飾専門家に聞くべし。




4連続三角文
どうみてもただの三角文ではなく、舟などにとりつける幡に見える。中国で戦時に使うような竜文旗ではないか?

とにかくすべて名前がわからないから、そこから調べないとならない。
そうでないとその道具の歴史研究サイトにはいきつけないのだ。名前調べから大変な作業である。王様のズボン・・・かぼちゃパンツ・パンプキンパンツ・キュロット・フランス語ではなんたらこったら・・・ようやくちょうちんズボンとなった。靴の名前が分からない。名前がわからないとどの地域の民族衣装かが調べられない。


これじゃあだめだ。
本にあたるしかない。
図書館へ。



服飾史を一からやり直す。