スサノオを知りたい人のためのマニアック神社。筆者おすすめの意外な神社も入ってます。


豆知識
■スサノオって誰?
(スサノオノミコト、歴史的仮名遣:スサノヲ)は、日本神話に登場する神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。Wikiスサノオより

■なんの神様?
日本人の庶民、渡来人、敗北者が信仰する荒神さま。
源義経のように追放されて、地上界を蓑笠を着てさまよった精霊神。
牛頭天王、マハーカーラ、戦いの神、風雨台風の神。
ヤマタノオロチを退治して出雲を建国した。
モデルは騎馬遊牧民。黄泉の国の大王=仏教で言う閻魔大王。
オオクニヌシの先輩。
地下と地上と気象天候を支配する大王。
祇園神。祟り神。でもやさしい人。
石見・岩戸神楽の主人公。

破天荒で、すさんで、荒々しく、しかし反面こっけいで物悲しく、日本人の判官びいき心をいたく打つ。神話の神で人気ナンバーワン。

喜ぶとやりすぎる、酔ったときのあなたみたいな神。勇猛果敢。面食い。
武塔(むとう)の神とも。これは朝鮮語のムータンのこと。台形状の聖所=臺、台、第。邪馬台国の「臺」も同じ意味。聖人君主が立つ場所。
つまり首都である。朝鮮語ではそれを「そしもり」。そしもりは原語で「そぼる」で、今のソウルと同意。壇上の人=王。

猛悪大魔神の自然・宇宙・摂理を司る、あらゆる自然現象の神である。
多くの渡来人や海人族が祖神とした。

太陽神=アマテラス
月神=ツクヨミ
だから当然、スサノオ=地球そのもの
ですわ。



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ゆかりのマニアック聖地

●天日隅宮(あめのひすみのみや・杵築大社)=出雲大社内素鵞社(すがのやしろ)
出雲大社神殿の北側に鎮座する廟である。手前の玉垣境内に小社もあるがこっちが本宮。スサノオを祭る。

古代史マニアック説では蘇我氏を鎮魂とも聞くが定かでない。
背後は八雲山。巨石がありスサノオのパワーで割れたという。
八雲山はヤマタノオロチを退治したと稲田姫と一緒になった場所で須佐神社がある。

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私説では、蘇我氏は記録上はスサノオを祖としてはあるけれど、そもそも葛城氏同祖を名乗る限りはおかしな話である。葛城系ならば当然、祖神は武内宿禰関係になるはず。つまりスサノオ祖神系譜は『日本書紀』のあとからの付会ではなかろうか?つまり敗北した氏族としてのスサノオでは?


須佐神社(すさじんじゃ)
島根県出雲市宮内730
スサノオが最初に降臨したところ(鳥髪山=現在の宮尾山か?斐伊川の源流である船通山か?所在地)といわれている。
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-RnsKKNyt2fk/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl&lsbe=1
式内小社。
旧社格は国幣小社。
出雲國神仏霊場第十八番。
主祭神須佐之男命
稲田比売命、足摩槌命・手摩槌命を配祀。

「「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命(かやなるみのみこと)を祖とすると伝える。」Wiki須佐神社

※「よい国だから自分の名前をつけた」ということは、マニアック仮説の言う、須佐の男だったからスサノオというのは矛盾することとなる。するとスサノオという名前も、須佐地名からではなく、「荒んだ神」「あらぶる神」が整合だろう。
なお明治期にはスサはペルシアの首都だったのでスサノオはペルシア人説もある。



そもそもイザナキの子供は
1 アマテラス=天皇の祖先神
2 ツクヨミ=天皇家を支える家臣貴族の祖神を一括した象徴的神名
3 スサノオ=そうなると当然、古代階級ピラミッドの一番下。つまり庶民。あるいは敗北者、渡来系帰化氏族。となるはずだろう。実態があって、荒ぶる荒神で、蓑笠を着た来訪神。民間の神。だからなんでもかんでも宝物をアマテラスに捧げている。
まるでのちの天皇家御用達一族みたいなところがある。彼らの多くは漁民や差別されていた賎民だった。祇園に八坂神社を建てたのもそうである。築地市場のはじまりもそうした人々。そういうところからも以下の記事の意味は感じ取れるはず。

※負嚢者 ふくろかつぎもの=奴婢
ついでに大国主は、袋を担いでいる。おおくにをだいこくと読み替えて大黒天の化身にされたので大黒天も大きな袋を持つわけだが、袋を抱えたもののことを今は厨房神・財神としてありがたがるが、白川静の漢字解析では袋の旧字は「傳=伝」で、人が東=ふくろ(嚢)をかつぐ形であり、往古は袋を背負う者を「負嚢者 ふのうしゃ、ふくろかつぎもの」と言ったことが『日本書紀』雄略記十四年四月条にあって、それは奴婢のことを指していた。つまりオオクニヌシは奴隷階級だったことになる(兄弟神の荷物を全部背負わされたいじめられっ子。いじめはダメよ。ランドセル全部担がせるのもいじめだよ)。

そもそも大黒天も袋を持っているが、これはインドではマハー・カーラ、シバ神であるので荒々しい武闘神で、本来は象の皮を剥いだ袋なのである。つまりオオクニヌシも、追放時に重い荷物を背負わされた罪人スサノオに相当する騎馬民族末裔で、しかも奴婢の神だと言う事ができるのである。 ちなみに風神が担いでいる袋もきっと大黒点から来たのだろう。スサノオも馬の皮を剥いだ。




佐久佐神社(八重垣神社内に合祀殿)
青幡佐草日古命(あおはたさくさひこのみこと)別名:青幡佐久佐丁壮命(:あおはたさくさひこのみこと)、青幡佐草壮丁命(:あおはたさくさひこのみこと)
須佐之男命と奇稲田姫命の子。
八重垣神社宮司の始祖。

「近世を通じて八重垣神社の祭神は素戔鳴尊・稲田姫・大己貴命になっていた。ところが 明治に入り、延喜式にない社名では高位の社格を得られないことから、本社と末社の関係を元にもどして 「佐久佐神社」と改め、主祭神を青幡佐久佐比古命として当局に届け出た。

しかし、久しく馴染んできた「八重垣」という社号を伏せておくに忍びず、社号を「八重垣神社」に戻すことを陳情、容れられて祭神も明治以前に復し、現在、青幡佐久佐比古命は合殿神となったということである。」


●→八重垣神社 やえがきじんじゃ
島根県松江市佐草町227


「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」伝スサノオ作和歌であまりに有名。

「素盞鳴尊は、まず佐草にある「佐久佐女の森(さくさめのもり)」の大杉を中心に八重垣を造って、稲田姫命の身を隠しました。そして次に用意したのは、強い酒が入った8つの桶。大蛇は、素盞鳴尊の作戦どおり8つの頭をそれぞれの桶に突っ込んで酒をあおり、酔っぱらってその場で眠ってしまいました。素盞鳴尊はすかさず剣を抜き、大蛇をズタズタに切り裂いて見事に退治成功! 老夫婦との約束を果たしたので、素盞鳴尊と稲田姫命はめでたく夫婦となったのでした。」http://furusato.sanin.jp/p/area/matsue/35/

「式内社(論社)で、旧社格は県社。意宇六社の一社。出雲國神仏霊場第十四番。素盞嗚尊と櫛稲田姫の故事から縁結びの神社として信仰を集める。」
素盞嗚尊と櫛稲田姫を主祭神とし、大己貴命、および『出雲国風土記』意宇郡大草郷条で須佐乎命の子として記載される青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこ)を配祀する。

日本最古のスサノオと稲田姫の壁画で有名。伝・巨勢金岡作。
「5月3日の身隠神事は、八岐大蛇退治の際に櫛稲田姫が奥の院に身を隠したという社伝に因むもので、本殿から奥の院の夫婦杉に向かって神輿による神幸行列が行われる。この行列を見ると良縁に恵まれるという言い伝えがある。12月15日に還幸祭が行われる。」



須賀神社
島根県雲南市及び安来市
その他全国に存在。

須賀神社(すがじんじゃ)は、牛頭天王・須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神とする祇園信仰の神社。日本全国に存在する。「すが」は「須我」「清」「酒賀」「素鵞」などとも表記される。島根県・高知県に特に多い。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峯神社、天王神社、八雲神社、素盞嗚神社があり、時代や資料によって通用される。スサノオは「ここに来て心がすがすがしくなった」とつぶやいたゆえ、須賀となったという。安来のほうは「心安くなった」ので安来となっている。



赤留比売神社及び出石神社及び気比神宮都怒我阿羅斯等社
大阪市・兵庫県出石市、福井県敦賀市

なぜこの三つをあげたかと言えば、スサノオが天の安川原でアマテラスと誓約するときに、スサノヲが出してきた「みすまるの勾玉」が、羽明玉(ハアカルタマ)という神からもらったものだったとあるからだ。ハアカルタマとはアメノヒボコの妻だったアカル比売にそっくりな名前。彼女も赤い玉の化身であったし、アメノヒボコもスサノオも複数の神宝を持っていたと書かれて、よく似ている。都怒我阿羅斯等は福井・越の渡来神であるし、この三者はいずれも新羅に深い関係がある。となれば継体大王の福井にある気比神宮のツヌガアラシトこそが継体の化身であると考え付くのは必然だろう。気比神宮は武内宿禰が訪問したり、応神天皇が名前を交換した場所である。「みけつ」のイルカを得た海でもある。つまりツヌガアラシト=気比大神=応神となり、しかもスサノオ子孫かと思える武内宿禰が宰相で寄り添う。という構造。

スサノオの神格にはそういう「前の王家たちがヤマトに負けた」ことまで背負わされているのかも知れまい?



大三島神社及び松尾大社
これまたなぜ?かも知れないが、どちらも祭神が大山積で、娘が此花散と此花咲也比売というので。大山積(ツミ)の神は山の神だが海の神も兼ねている。記紀では海の支配は最初はツクヨミだったが、スサノオにもタカミムスビ神は指示しており、矛盾していたが、どっちもいつまでたっても海を支配していないのだ。結局、大山積が海の支配をまかされる。なぜなら大三島は四国海人族の祭る聖地だからだ。ではなぜその海山の神が京都の松尾秦氏の祭神か?京都で秦氏は賀茂氏、壱岐氏(月読祭祀者)、奈良では葛城氏らと婚姻関係を結ぶ。それらはみな海を渡って伽耶から逃れてきた一族だったからではないか?もちろん紀氏もそうだ。尾張氏も物部氏も実はそうだろう。
ちなみに継体大王の墓があるのも摂津の三島である。



於美阿志神社(おみあしじんじゃ)
奈良県高市郡檜前
ひのくまの漢氏の祭る社である。万葉集に「ささのひのくま」が馬の産地だった歌がある。つまり東漢氏が馬も飼っていたことになる。この渡来人もまた言わばスサノオのような人々で、秦氏と同じである。紀氏などの船で、葛城氏によって連れられた可能性がある。スサノヲが投げ込んだ天斑馬を育てていたとすると、この檜前の漢氏か、大阪府四條畷市の河内馬養氏しかなかろう。なぜぶちのある馬かと言えば、スキタイやペルシア人にはまだらの生物を神聖視し、山頂で神にささげた風習が、北欧騎馬民族の英雄伝承などにあるからだ。山上で犠牲を捧げるのは、中国南部の王朝であった秦の始皇帝も行った儀式(封禅 ほうぜん)。王であるおとを天下にしらしめる儀式。キリスト教やユダヤ教でも。

日本のアマテラスに馬の皮を投げ入れたスサノオの行為は、だから神へ捧げモノをした祝福行為と理解できるのである。日本で馬を墓に埋葬するジュンソウ行為のあった遺跡は四条畷市の河内馬養氏の古墳だけである。やはりスサノオは渡来人なのだ。しかも奴婢のような身分の人の神だった。



蓑笠神社
神奈川県秦野市二宮町
スサノヲが雨宿りをここでしたときに置いた蓑笠を祭ってある。
秦野市は海人族・波多野氏の本拠地。専売公社が日本で最初に置かれた土地である。
ヤマトタケルを祭る寒田神社もここ。
そうした人たちが、関東に於いてもスサノヲを哀れみ、しのんでおいた社であろうか。
ケヤキ大木のご神木が有名。



氷川神社
武蔵一ノ宮
スサノオを関東で最初に祭った社。
東京遷都のときに明治天皇がほかを置いてもいの一番に参拝した神社。




以下はファンなら当然行っている有名どころ


熊野大社及び熊野本宮大社(和歌山)
島根県松江市八雲町
熊野大神を祭る
伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命が本名
熊野本宮大社がイタケルならここはスサノオで
いいはずだが、風土記ではスサノオとは関係なさそうにしてある。
出雲国風土記はほかの風土記とは違い、アメノホヒ子孫の出雲国造のような派遣された役人の手にならず、地元豪族や官位もない人物の手によって編纂。だから提出が一番遅かった。つまり『出雲国風土記』は地元の意向が非常に正直に入った風土記だ。
それでヤマトが言う天孫のスサノオなんか知りませんし・・・という思想で書かれているようだ。反骨心だなあ。えらい。



八坂神社
京都市いわゆる祇園さんどすえ~~~


素盞鳴神社
広島県福山市新市町大字戸手
備後一ノ宮
蘇民将来、牛頭天王、スサノオ
蘇民将来説話が記録されたのは実は「備後国風土記」※である。逸文。
牛頭天王は八坂の神=祇園さんのことで、日本ではスサノオのことを言う。

※卜部兼方によって記された『釈日本紀』に、「備後国風土記逸文」として「蘇民将来」あり。

広峰神社
言わずと知れた牛頭信仰の総本山。
兵庫県姫路市広嶺山52



杭全神社(くまたじんじゃ)
大阪市平野区平野宮町にある神社。
旧社格は府社。
貞観4年(862年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が牛頭天王を勧請し、社殿を創建したのが最初と伝えられている。
以降、建久元年(1190年)に熊野證誠権現(伊弉諾尊)、元亨元年(1321年)には熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請合祀し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の勅額を賜り、熊野権現社の総社とされた。
杭全。勝山は今でも渡来系大阪人のメッカ。おもろいところやでえ。



須佐神社
福岡県行橋市。定期的に奉納連歌を催しているのは杭全神社とここのみじゃ。



津島神社(つしまじんじゃ)
愛知県津島市。
社格は国幣小社で、現在は神社本庁包括の別表神社。
建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社であり、その信仰を津島信仰という。
中世・近世を通じて「津島牛頭天王社」(津島天王社)と称し、牛頭天王を祭神としていた。
東海道名所図会に、津島牛頭天王と記載される。以上Wikiスサノオ









おまけ

以下はあとからできた場所かな? (^^;
●山田神社
ヤマタノオロチとゆかりがあるという蛇石(へびいし)を祭っている。

八岐大蛇が素戔嗚尊に退治された時、そのの形で留まったものとされ[14]、蛇石の上にを置いたところ自然と消失したり、が年々大きさを増し、を作って覆ったがその祠を壊して出てきたため、土地の産神として祭ったところ大きくなることはなくなったという伝説がある。
しかし長野かね。安曇野や諏訪湖ならね。でも「さく」地名の由来かな?
普通は土地を「裂く」=開闢伝説が語源だろうがな。いずれにせよ九州には、長野県はゆかり深い遺跡は多いので、どうぞ。タケミナカタ=宗像・安曇とするならです。

熊本からの移住者が多いところでありましょう。建磐龍のそっくりさんがいる土地です。


●天が淵・釜石
雲南市木次町湯村天が淵公園 (斐伊川上流山間部)
「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が住んでいたところです。
天が淵には、「蛇帯」と呼ばれる青と赤の筋になっている石があり、ヤマタノオロチの足跡と伝えられています。」


記紀にはヤマタノオロチは古志=越前・越後から来るとあり、ここはやや?いたのではなく、スサノオが封じ込めたならわかるが。おまけに足ナヅチ・手ナヅチがいたところまであるし・・・稲作農耕民の二人がそんな山の中にいたはずないし・・・。

まあ、ハイキングでもどうぞ。


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以上、スサノオを知りたい、会いたい人へのおすすめマニアック神社でした。