おととい、昨日と箱寿司を作ったついでに、では箱寿司と押し寿司はどう違うのか、どうやって始まったのかを軽く調べてみた。物好きにも、杉下右京さながら、小さなことが気になるのがぼくの悪いクセなので、ひまはいくらでもつぶせる。
あなごの箱寿司 Kawakatu手製https://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
寿司はなれ寿司に始まることぐらいはどなたでもご存知だろう。
箱寿司は押し寿司の一種。
最初は空いた菓子箱に、ふとバラ寿司をつめてみようと思い立ったことからだという。で、箱に詰めて「四角い寿司」を箱寿司といい始めたそうな。
一方押し寿司は、
「大阪府では明治時代にサバやアジなどを材料とした押し寿司が普及し、その派生料理として日常のもてなしを目的にタイやエビ、アナゴの高級食材を用いた”箱寿司”が考案された。押し型を作る職人と寿司職人の技が織り成す箱寿司は大変人気を呼び、もてなし料理の定番ともなった」そうな。よくわからんな。
箱の中に押し込んで押した寿司が箱寿司で、これは料理史的には、高級料亭で押し寿司を出すのに、品よく、より美しく見せるためだったようだ。専用の道具が大阪できるまでは菓子箱などに入れていたらしいが、これでは出すときになかなか・・・だっただろう。箱のまま切っていたかも知れない。ならば最初は箱寿司は行楽弁当的なものかな?
道具が出来ると料亭でも出せるものに。
Wiki寿司に押し寿司の歴史がある。
「
酢飯と具を重ね、力をかけて押した早寿司[9]。箱寿司が元となっており、江戸時代に出来た握り寿司の原型[10]。鯖寿司である大阪府のバッテラや京都府の鯖の棒寿司、富山県の鱒寿司、鰺の押し寿司、秋刀魚寿司、鳥取県の吾左衛門寿司、広島県の角寿司、山口県の岩国寿司、長崎県の大村寿司など。江戸ではこの押し寿司ではなく握り寿司が発展し、2つの文化に分かれていった。」
なるほど、では順番は、
なれ寿司→箱寿司→押し寿司→握り寿司
だな。バリエーションで丸い桶に入れたますのすしとか柿の葉寿司とかが民衆の間で生まれたんだろう。握りより成型すしのほうが早かったわけだ。へえ。つまり大阪や京都や越前が先立ったということか。なれ寿司も琵琶湖。近江派生だからね。
箱に入れたのは京都だろう。なにしろ芸子遊びで山遊山が早くからあったからねえ。お弁当でも寿司が食べたいお大尽が多かったんだろう。それが大阪で専用の小さな箱が作られて料亭でも。
大阪の押し寿司
いわゆる関西のバッテラは京都で始まったサバ寿司を大阪で変形させたもの。
バッテラとはオランダ語の船だ。サバは越前福井から塩につけて京都へ。それを酢に漬け込み、船のように四角く押した。バッテラは主に大阪で、京都ではサバの棒寿司とか呼ばれる。
Kawakatu手製 コハダの箱寿司(失敗作)。詳しい造り方はKawakatuワールドに記事。https://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
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