■神器の記録はない。それは璽。しかも二種。

『日本書紀』
●允恭天皇元年十二月の条、「是に、群臣、大きに喜びて、即日に、天皇の璽付(みしるし)を捧げて、再拝みてうえる」。
●清寧天皇前記十二月の条、「大伴室屋大連、臣・連等を率て、(しるし)を皇太子に奉る」。
●顕宗天皇前記十二月野上、「百官、大きに会へり。皇太子億計(おけ)、天子の(みしるし)を取りて、天皇の坐に置きたまふ」。

※ここまでは実在が確実視されていない天皇の記録であり、そのために神器のことをただ「みしるし」とするのみで実態が不明である。「璽 じ」は中国皇帝のしるし(玉璽)であるから、中国の記録や風習を真似てそう書いてあるだけと見る。そもそもこの時代は欠史時代であり、天皇も存在するはずもない。各地に小王家がある状態。

例外
●12代景行天皇の12年に防府市付近の首長が、三種の璽をもって行幸を出迎え
●14代仲哀天皇8年に、福岡県の県主が三種の璽をもって出迎え。

このお二人もいたかどうか?それぞれ地方の大王伝承である可能性がある。つまり地方豪族はもともと三種のレガリアを持つ習慣があった?


以下からが実在性が高い大王の記録。
※ただし持統以外は大王で、天皇ではない。また、持統以前の大王が今の天皇家の直接の血族かどうかさえ否定するに確たる反論証拠もない。継体・宣化の存在もほかの王家の可能性。推古~天武も蘇我王権とその残照王家である。

●継体天皇元年二月の条、「大伴金村大連、乃ち跪きて天子の鏡(みかがみ)剣(みはかし)の璽符(みしるし)を上りてまつる」。
●宣化天皇前記十二月の条、「群臣、奏して、剣(みはかし)鏡(みかがみ)を武小広国押す盾尊に上りて、即天皇之位さしむ」。
●推古天皇前記十一月の条、「百寮、表を上りて勧進る。三に至りて乃ち従ひたまふ。因りて天皇の璽印(みしるし)を奉る」。
●舒明天皇元年正月の条、「大臣及び郡卿、共に天皇の璽印(みしるし)を以て、田村皇子に奉る」。
●孝徳天皇前記六月、「天豊財重日足姫天皇、璽綬(みしるし)を授けたまひて、位を禅りたまふ」。
●持統天皇四年(690年)正月の条、「物部麿朝臣大盾を樹て、神祇伯(じんぎのかみ)中臣大嶋朝臣天神の寿詞(よごと)を読み、畢(おわ)りて忌部宿禰色夫知神璽の剣鏡を皇后に奉上り、皇后天皇の位に即く」。
参考Wiki三種の神器

このほか「大宝令」「養老令」『古語拾遺』などもみな二種としている(上田)。







このように飛鳥時代までの歴史的記録(記紀神話以外)には一切「神器」なる言葉はなく、あくまで中国に従って璽が用いられている。その内訳も剣と鏡であり、玉は一切書かれない。三種の神器が記録されるのは『日本書紀』神話部分の天孫降臨シーンだけである。この神話部分はいわば史書の「おまけ」であり編纂時代の政治的付会としてよかろう。要するに神器は持統天皇まで剣と鏡の二種であった。

ところが平安時代になると『百錬抄』後嵯峨天皇即位の仁治三(1242)年正月も条から三種としてある。では、天皇家で神器が二種から三種になったのはこのときからかというと、『日本書紀』『古事記』は、天孫降臨でニニギノ命はアマテラスから三種の神器を受け取って降臨したとしていて、すでに記紀編纂成立時(元明~元正天皇あたり)には璽は三種の神器であったのでなければおかしいのである。しかしながらそれに先立つ持統朝にはまだ二種である。ならば持統から元正の間のどこかで三種に増えたか?

※中国では、「道教研究者として知られる福永光司によると、道教の前身たる張魯の天師道は鏡と剣を二種の神宝としていたという。これが4世紀末ごろに儒教を取り込んで、道教として体制内宗教に昇華したとき、儒教の神宝の玉ぎょく( 勾 玉ではない)を加えてはじめて三種の神宝が揃う」https://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/931adc74167ca3368e27e592652e8ec7

中国で二種から三種に増えたとき、それは玉(たま)ではなく儒教の宝物だった玉(ぎょく、璧か?)だったと記録されていて、玉璽は王印であるから、日本でこれに当たるオリジナルなものは、さかのぼる三世紀、女王卑弥呼が魏から授かった金印しかないなずだ。しかし金印も玉璽も一切日本の古代大王史には登場しない。なんとなれば卑弥呼が朝貢前に重視していたのはあくまでも鏡だったらしいが、魏王はこのとき金印紫綬、刀(中サイズ?)一振り、鏡百枚を授けており、もし今の天皇家もそれを受け継いでいるならば、邪馬台国と大和朝廷はつながった王家だったことになるのだが、そうならない。その後の大王も天皇も、神器は剣・鏡であり玉でさえ玉璽どころか縄文的な勾玉だった可能性が高いのである。その剣と鏡にしても、魏王とは無縁の草薙剣と、当時の中国にも朝鮮にもありえないサイズの鏡である。剣と鏡という形式だけは中国式を踏襲していながら、現物は中国から下賜されたされたものではないわけである。考えてみたらこれは異な話ではあるまいか?

もちろん日本の神器が大陸に関わらぬオリジナルなものであることに日本人として異論をさしはさむ必要はない。むしろそれはそれで独自性があっていいではないかと開き直ればよいことだ。(そもそも記紀成立時代はさほど大陸とのつきあいはなく、むしろ内向的な国風だった。外交的だったのは蘇我氏~天智の時代である。とはいいつつ記紀、特に『日本書紀』は中国の史書をベースにしているという矛盾が在るが・・・)

しかし、もしそれらがあったのならそれを神器にしないのも奇妙だ。つまりなかったのだろう。ないならオリジナルにならざるを得まい。だが、どういうオリジナル製品なのかがわからない。神話伝説では草薙剣はスサノヲ命が出雲でヤマタノオロチの尾から出たのをアマテラスに献上したとされるが、神話は神話。もちろん出雲にそうした剣を作る技術者がいて、その時代なら当然銅剣だったのだろうが、天皇でさえ今やそれを見ることもかなわない。ヤタノ鏡も同じく誰も見たこともない。それにヤタとはそれほどのサイズだから、卑弥呼やアマテラスのようにおいそれと首にかけたり、枝にかけたりできない代物に違いない。九州で出ている内向花文鏡のようなサイズなら、重くて動かすのも大変である。ましてヤサカニ曲玉となると、いったいどこに存在するもわからなくなっている状態。

唯一、記録に「大刀契 たいとけい」なるものが唐櫃に納められて温明殿の暗所に安置されている記事がある(『本朝世紀』『扶桑略記』『日本紀略』『小右記』『中右記』『御堂関白記』『百錬抄』『玉葉』)にあると上田正昭は書いている。しかしこの受け渡しもなくなったあげく「失ったか?」と記録されている。大刀契とは二振りの剣であったらしい。「璽剣二」の記録がある。しかしその風習自体が滅亡百済が持ち込んだ可能性もないわけではない。そしてこうしたレガリア化は桓武天皇の時代に初めて成立したのだろうと上田は書くのである。じゃあそれまでの記録はいったいなんだったのか?神器とは別物だと?

とにかく、そのようにあれやこれや史書をひっくり返してみても玉はどういうもので、どうなったのかがわからない。唯一のヒントは源平合戦のとき安徳天皇ととも海の藻屑となった・・・あとでそれらの神器について後醍醐天皇が偽物だといちゃもんをつけて、結果的に南北朝の争いが起こってしまったという史実だけである。義経が海の中から発見したという神器が、実はすべて偽物であるとか、レプリカだとか、作り直して見つかったと偽った品であるとか諸説あるが、結局、すべて不明なのである。そもそも本気でそれらを王のしるしであると考えていたなら、現在もなお、偽物だろうが作り直しだろうが宮中にあってしかるべきであろう。

こうしたさまざまの記述から考え付くのは、そもそも『日本書紀』だけがなぜ神器について書くか?なぜ『古事記』は書かないかなのではあるまいか。もともとなかったのかも知れまい?二種が三種になってみたり、また戻ったり、金印であるはずのものが玉だと書かれたり、いや玉璽のはずが勾玉だ・・・と、どれもこれもがあまりに不確実な話ばかりである。剣と鏡だけはちゃんと『日本書紀』が本編に書いたが神器ではなくそれは璽である。神器と書いたのは『日本書紀』神話だけ・・・。

本当は剣と鏡しかないのでは?それも継体大王が、王権のあかしとして大伴金村から受けたものともすでに違うものが引き継がれている可能性が高くはないか?すべては霧の中である。

いずれにせよ三種とは中国的な道教・儒教・仏教の三宝の意味なのか、どうなのかも不明。勾玉が縄文人の象徴なら、蝦夷たちから献上させたものか?剣は出雲から奪った征服のあかしか?鏡は太陽神アマテラスを創造する大元になった卑弥呼の、シャーマンとしての証か?あるいは剣は武力、鏡は呪術、玉は生命の象徴か?全部不明である。なかったものがあったように書かれたような気配すらある。それは中国に並立する独立国家をめざした蘇我や藤原の王権思想に反する。メニューの料理名だけは中華で、調理法は和食、具は空想してくれ、みたいないびつな創作料理にも似ている。まこと藤原不比等は曲者である。絵空事ではないのか?


どっちにしても来年、新しい天皇が即位される。ひろのみやさまには、この際、ぜひとも近代自由主義日本の一員として、神器を全部ご開示願いたいものである。


ないものをあると思えと?そりゃほんとの近代なのか

ではないのか~い?

そだね~~~

ってここで言うなよ。
俺もそろそろもぐもぐタイムするかあ。







さて、おまけ。
阿加流比売を玉の象徴と見る手もある。玉造に比売許曾神社があるように、玉の氏族は銅も持ってきたか。それともアメノヒボコが鉄、ツヌガアラシトを銅とするか。それはあなたの自由でしょう。いずれにせよトランプ大統領は日本の鉄製品にも関税を増やそうとしております。鉄はあらゆる近代化のさきがけとなった鉱物でした。これが使いにくくなりますと、国家の根本にある経済がへたることになります。渡来人と海人族はそういう、稲作に匹敵する一番大切なものをも持ってきてくれたわけです。そうやって日本は国家になれた。このことを絶対に忘れてはなりません。すべての近代的文明は、外から来たのです。その国から「敗北した」人々が持ち寄って、さまざまの民族によって日本はできあがったのだということは、絶対忘れないで欲しい。すべてをチャンプルーに受け入れてきた。それこそが日本人だということです。そこに排他性はない。帝国主義や植民地主義もないということです。