オーストラリア原住民の原始民俗信仰を現地語でジュクルパ(創生神話)と言う。
西欧学者はこの夢想行為を、平易な英語でドリームタイムとかドリーミングで簡単に済ませている。

ワワラグ姉妹という創造主がある。
また祖霊であるワンジナという精霊がある。

ワワラグ(ウウワラク、ワギラグとも)姉妹は、姉が部族の男との近親相姦で懐妊するが、村を追われて、妹とともに故郷を出て遍路の旅をするというイニシエーションをし、ムルウルという聖なる泉を目指しつつ、途中目にした動物や植物に名をつけてゆく。そして同時に、トカゲ、オポッサム、藪ネズミ、カンガルーを屠(ほ)ふったり、ヤム芋を掘っては、それらを持参した網籠へ入れてゆく。
 
グルアウォナという場所で休息中に、姉は女児を産み落とす。そこでふたりは火をおこし、持ってきた食料を料理しようとしたが、なぜかそれらは火にかけると生き返り聖なる泉へと逃げ込んでしまう。それで動物たちはみな聖性を帯びた生き物となった。

その泉には岩の様に大きな蛟(紅蛇のジュルングル)がいて、姉の出産の血のにおいをかぎつけて這い出てくる。姉妹は踊ることでこれを避けようとしたのだが、逆にそのために妹に月経が始まってしまい、ジュルングルは結局そのにおいで近寄りふたりを飲み込んでしまった。蛇は泉に戻りふたりをはきだしてしまう。まだ息のあるふたりを、蛇はソング・スティック(歌舞用打楽器)でたたきのめし、また飲み込んだ。

虹蛇はゆうゆうと泉に戻ると、食われた姉妹の精霊はジュルングルを通して(犠牲と憑依)、泉に巣食う蛇たちに語りかける。それによって結果として、ジュルングルはジュクルパによってもたらされる霊的遺産・・・世界の聖なることわり、儀式、踊り、歌をみずからの崇拝者たちに広めたこととなったという。ひとしきりその行為を済ませたのち、ジュルングルは洞窟に隠棲して、再び姿を現さなかったという。


※犠牲と憑依
犠牲は日本神話ではヤマタノオロチに毎年食われていたイズモのヒメたちのいわゆる生贄と同じであり、食われることで食ったものに憑依して精霊としての姉妹の仕事は完結する。憑依された蛇(ヨリシロあるいは巫覡のような預言者)の言葉を通じて聖なる行事のノウハウは開始されたということであろう。それでは蛇がアボリジニの創生主に見えてしまうが、実は言葉の主体は姉妹のもので、やはり創生主はこの姉妹なのである。

蛇がその後隠れて、二度と現れないというのは、日本神話の造化三神と同じである。つまりこれこそが老子の言うところの、宇宙を創造した摂理=道なのであろう。

ソング・スティックを蛇が持っているというのは、この蛇がガラガラ蛇だったと想像させる(オセアニアにはいないようだが)。ガラガラヘビは英語でラットルスネークと言うが、そのラットルとはラトルで、祭祀用打楽器の名前でもあるのだ。多くは鈴のついた打楽器だが、ある原始地帯ではそろばんの玉のように、団子のような球体をひごで突き刺した形態をしている。
赤ちゃんのためのガラガラも、ラトルで、ガラガラヘビの尻尾はまさにガラガラに似ている。音は憑依の重要な道具であることは世界中で一致する。

シャーマンの道具
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アボリジニは、3500年ほど前?、おそらくインドシナからウェーバー線(生息生物の”分布境界線” ワラセア地区にある)を乗り越えてオセアニアに到達し現在に至ったとされる唯一の民族だが※、その後丸木舟によって?オーストラリアを出てさらに太平洋をトンガやハワイにまで子孫が動いたとも考えられている人々だ。

※オーストラリアでは4万年ほど前?の人骨(通称ムンゴマン)が見つかっており、それよりもっと古くから人類がいたとか言われているが、それらがアボリジニの祖先かどうかは不明である。また小人のフローレンス原人や、デニソワ人などの祖先も言う説があるがここではひとまずs・グリーンウッドの言説に従っておく。



筆者なりに、そのわれわれとは若干異なるであろう出アフリカルートを想定すると・・・タッシリからインドシナ半島まで数万年、そこからインドネシア、ボルネオ、オーストラリア、ニュージーランドときて、やがて南太平洋から・・・以下はまったくの想像でしかないが、中米まで到達したのではないかと思える。なぜそう思うかというと、彼らに共通する祖霊の姿が「宇宙人」で共通するからだ。

また壁面に無数の手型を残す風習も、タッシリ・ニジェールとオーストラリア・ウルル、中米などに共通性が見られる。






この写真の右上のヘルメット?かぶり、その上に太陽放射のような毛?をさかだてる人物が精霊ワンジナである。左の楯は、中世欧州の生命樹にそっくりだ。

ついでだが、この絵柄は生命の円環を示すわけだが、日本の飛鳥の酒船石を思い出す。直弧文にもそうした意味がある。皇極が欲したものも永遠の命だったのだろう。それが酒船石真下にある酒船遺跡の水祭祀場デザインに影響した。皇極はだから思いのほか欲望があった人だ。入鹿暗殺のフィクサーとしてふさわしい。



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豪州キンバリー

まるで覆面レスラーかグレイであるが、最初の写真をよく見ていると、どうもその顔は頭骸骨、しゃれこうべに見えてくる。


タッシリニジェールの祖霊もヘルメットを被ったように見える。



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三つともタッシリナジェール壁画


南米のナスカの地上絵にも似たような人物が見られる。

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ナスカ地上絵


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アメリカ・ユタ州


しかし、もちろんそれらが宇宙人であるはずはない。なぜなら地球上のあらゆる生物のDNA構成と同じDNAを人類も持っているからだ。また地球外生命体が地球に来たとしても、環境が違いすぎて住める可能性が小さすぎるし、まして人間の姿をしているはずもない。それに、銀河系外しか生命体が存在するわけもないから、そんな遠くからやってくる能力を持てる宇宙人がいる可能性もさらに小さいのだ。でははるかな時空を経てDNAを飛ばしてきた可能性?皆無だろう。ありえない。と「今は」言うしかない。


古代人が描く祖霊・精霊の姿は、シャーマンたちがトランス状態になって「夢見」(ドリーミング)することによって見えた姿であり、それが世界的に高い確率で一致する理由は、トランス状態の白日夢であることに起因すると見られている。

あらゆる人類がアフリカ単一起源説で考えるならば、同じ志向性になっていることにまったく違和感はないことになる。同じ遺伝子から枝分かれした同じ人類ならば、どこへ行こうと、考えや行動性、心情、空想性の起源もひとつだからだ。むしろ似ていて当たり前だとなる。

そして、死者を見る機会が多かっただろう、狩猟採集生活者なら、動物も解体するし、内臓や骨など日常茶飯事だっただろう。つまり白骨やしゃれこうべなんぞは毎日のように見たし、死者、子供の出産での胎児の姿、女陰など、当たり前に見ている。特にシャーマンは医者でもあったわけだ。


右クロコダイルの精霊には内臓まで詳細に描かれている
左の精霊は、カエルか亀のよう

ヘルメットや放射毛に見えるのは、おそらくオーラだろう。仏像の後光のようなもの。




つまり原始の人々のほうが、現代人よりも、生死に対面して生きていたわけである。するとトランス状態であろうと、夢の中であろうと、白日夢であろうと、それらが出てくる可能性は現代人の何十倍も多かったはずである。

まして自分たちの祖先の霊魂の形が、骸骨であってもなんら不思議はあるまい。中国や韓国や日本では、霊魂は勾玉や太一のような胎児の形をしていて、それは祖霊が持って来る新魂(あらみたま)であったと考えられる。骸骨は逆に死者そのものである。しゃれこうべを聖なる祖霊と拝むのはメキシコの風習で、その由来はアステカ文明時代から変わっていない。

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アステカ文明の骸骨

サンタ・ムエルテ






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じゃあ、これはなんだって言われてもちと困るが。




そいつらにはそう見えるんだからしかたあるまい。



じゃあ、現代で、四六時中幽霊や宇宙人を見てしまう人種は、いったいなんだって言われても、そりゃ病気だなとしか今は言えない。むしろ、現代言われているグレイの姿を作り出した人々は、逆に、古代人が描いた壁画やらを見すぎて想像したものじゃないのかと、逆に聞きたくなる。


老子的に言うならばだ・・・これこそが名だと言われているものは・・・だ。
それが祖霊だとか、幽霊だとか、悪魔だ、宇宙人だ、超常現象だと言われているもののその名前こそがあいまいな暫定的なネーミングであって、実際には明確なものはひとつもなく、いまだちゃんとその名前が確定していないんだということになる。それらはまだ仮名なので、ということはその現象はまだ不明なのだということなのである。それを名状してゆきたいのが科学だ。だから名とは二種類あることになる。自然科学が命名できたものと、できずにいるものである。

超常現象とか、ポルターガイスト現象とか、神霊とか心霊現象とかUFOとか、一応わかったみたいにぼくたちは呼んでいるけれど、それらの本当の名前はまだ全然決まっていないんだ。科学が分析できていないんだということなのだ。


そしてそれはあくまでも西欧科学の考え方だということでもある。西欧人が命名しなければ、いまだに、真実性・存在性は許容されないこの今の社会の、根っこから変えるもうひとつの価値観を、どこの世界が作れるか・・・それは未来の地球人の「かたち」になるはずの巨大な文明革命になるだろう。


ところで、ワワラグ姉妹は近親相姦の出産を村人たちから疎まれて(タブー視)、追放されるが、このいわば「回遊」とか「はぐれサル」のような旅をするイニシエーション(通過儀礼)は、動物ではうなぎや鮭類に多く見られ、またサルやライオンでも、ボスを奪われたリーダーがはぐれるのはよく知られるところであろう。それによく似ているのである。

最たるものはイワナやヤマメが、生まれ故郷の河では生存競争に負けたものが、やがて海へ出る修行ののちにサクラマスやサツキマスに変身して巨大化し、戻ってきて、今度は追い出したやつらが、そのメスに群がって、なんとかその立派な体格の遺伝子をわが子に受け継がせたいと、割り込んだりするという姿である。

そういう敗者復活の遺伝子が、どうも地球上の生物には与えられているんじゃないか?




夢見、
息づく原初の者ら、遥かなる過去の人々
彼らはワンジナ・・・
今ここにいる者、ナマレエのような。
その頃原初の彼らは
土地から土地を経巡った
洪水がおとなう前の夢見の中で。
鳥のワンジナたち、蟹のワンジナたちが
大岩をいくつも運んだ。
彼らは水の深みにそれらを投げいれ
次には大地の上にそれを積み重ねた。

あらゆる族(やから)は、
女をニシキヘビに、男をカンガルーに、
彼らが変えたのだ。
彼らは岩と闘い
彼らは川を掘った。
彼らはワンジナ。彼らは語らう。
われわれといずれかの地で。
彼らがしるしを刻んだ地で。

陽、出づるところ、丘の向こう
そして川へと彼らは来たり、
そしてこの土地でわれわれとともにある。

経緯をわれわれはおぼえおく
しるしを刻んだ地における彼ら同士の争いの。
それがそこでの夢見である。
あるワンジナたちは地下へとおもむいた。
彼らは洞窟に住まうためにやってきた。
そこでわれわれは彼らにまみえ得る。
成人した者らは自分のワンジナに耳を傾ける
遥かなる過去、もうひとつの時代、
彼らワンジナたちは悪しき者どもを岩に変え
そしてわれわれが日々のどを潤す泉に変えた。
これらの土地はわれわれの精霊を擁する
ワンジナたちのウングドの地。
そこで人は知るのだ
人の子が実のところ誰なのかを。
子の精霊が人の夢に顕れ
子の名を人に告げる。
そうして人は人の子を授かってきたのだ。
子はおのれの名を持つ
子の父の土地のみならず。。。

あるアボリジニ老人の語った歌
翻訳 田内志文







参考文献 『魔術の人類史』 スーザン・グリーンウッド