ウイッチ・クラフト witchcraft
魔女の魔術

キリスト教と中世社会が、ともに「不都合の排除」のために創作したペテンの結果が魔女である。男性中心の社会、キリスト教教化世界にとって、
1結婚しない 
2子供を産まない、 
3通念と異なるラジカルな生き方を選ぶ、 
4異教徒 
5共産主義者など既成の自由主義に反する

などなどの理由(タブー)から、史上数回にわたり女性を魔女として「魔女狩り」と称してとらえ、リンチしてきた歴史が欧米にはある。

例えば、フランスの自由の戦士であったジャンヌ・ダルクはよい例であろう。勝っていた間は女神とさえ言われたが、一旦負けると魔女とされ、古い男尊女卑思想の犠牲になった。

かつてはキリスト教の中でも、聖母マリア信仰は迫害の憂き目にあっている。

もともと古代シャーマンから続く民衆の中のオカルト的魔物であり、反面で道徳的にしつけにトリックスターのように用いられていた便利な概念の悪魔や魔女が、それらを政治的に利用された背景には、為政者や宗教組織の整合化策による差別と不都合が存在する。



中世キリスト教・・・いや、宗教にはある時期、歴史的に異教徒への迫害はつき物だった。今もそれはないとは言えない。アメリカのKKK(クー・クラックス・クラン)などもそれである(今やKKKはなんちゃって白豪主義・白人至上主義となったが・・・)。

差別と迫害は、人類がもともと動物から進化したことの証明でもある

動物のテリトリーを護ろうとする本能が発展して、縄張り意識、そしてそれを侵害するものへの攻撃が開始された。そこから他者への区別と差別は生まれた。つまり差別や迫害は、サルとしての動物性の残存であり、それが安定社会では代用品として?主として弱者へ向けられる。女性、子供、身体に障害を持つものなどを、健常で保守的な、変化を好まぬものによって仕分けされるのである。村八分、リンチ、奇妙な果実・・・。中でもキリスト教権威者たちのそれは激しく、それに反する人々はアンチキリスト(666、野獣、けだもの、ルシフェルなど)の烙印を押して差別、粛清、教化と銘打っての洗脳をほどこした。その中のひとつが魔女狩りである。

(他国からの迫害が朝鮮民族を苦しめた。その期間が半島では永遠に続いたゆえに、彼らは今でも忘れない。しかし、その怨の心はなぜか中国には向かず日本にだけ向う。それが最後の迫害だったからだろう。秀吉とニッテイにだけそれは向かう。ただその怨をあまりにも忘れない志向性はやや異常に見えてしまう。あまりんも迫害が続いたために、きっと精神が古代へ逆行したのではあるまいか?もちろん政治家だけの話だが。日本はもっと上手に過去の賠償とあやまってきたことを宣伝すべきである。へただから、いつまでも納得しない。韓国国民を納得させる方法でもう一回だけあやまってみたらいい。それはテレビに何度も出ることであらかた彼らはおさまるはず。)


さて、ウイッチクラフトを魔女狩りから切り離して本来の意味を考えてみると、それは直訳すれば魔女のあらゆる所業ということになる。魔法のノウハウ=クラフトである。ハーブや薬草によるアロマテラピーなども、言うならばある種の魔女行為の産物だとも言えよう。それはよい意味では医術とか精神安定剤ではあるが、魔女的な意味では同時に麻薬、毒草となる。両面がある。その始まりはやはり古代のシャーマニズムであろう。


現代ウイッチクラフトをネオペイガニズムのひとつとする意見がある。
「ネオペイガニズム(英:Neopaganism, Neo-Paganism)または復興異教主義(ふっこういきょうしゅぎ)は多種多様な現代の宗教的な運動、特にそれらがヨーロッパの前キリスト教的なペイガニズムの信条によって影響されたものを呼ぶのに用いられる包括的な用語である[1][2]
ネオペイガニズム的な運動はきわめて多様で、多神教からアニミズムに、汎神論から他のパラダイムに広くわたる信条である。多くのネオペイガニズム運動は、まったく現代的な起源のスピリチュアリティ的活動を行なう。他方では、歴史的・民俗的起源を持つ、土着的・民族的宗教を再建または復活させようとする」
Wikiウイッチクラフトより







魔女も悪魔も、中世、キリスト教に反する「こと、ひと、もの」に対して生まれた区別である。つまり人間が創り出したモノ、観念、意識だと言える。もちろん神もそうである。ここが裏表の同時存在で、その必要性は中世の「統治意識」に端を発する。言い換えると日本でなら、弥生時代と古墳時代の相違もそれである。一言で言うと、安定したから生まれたヒエラルキー意識である。仏像のうしろにあるとされる後ろ戸の神も似ている。天国だけでは人間はなんでもしてしまうので、反対の地獄が必要なのである。

穀物を手にして人類は安定し、すると大きくなってゆく原始円環社会(ヘテラルキー社会。アバウトな共同体。ムラ社会)の中に、あるルールを必要とするようになる。それは大きくは法であり、民間ではシャーマニズムのイニシエーションから変じたタブーを生むようになる。そこで当時の「科学」でしてはならないこと、常識に反するものを区別して排斥。そのひとつが魔女だった。つまり秩序であるが、それが現代とはかなり違っていたのは仕方あるまい。人類はまだ今よりもさらに経験不足な時代なのだから。




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「そんなおいたをしたら魔女に連れて行かれるよ!!」
といった言い回しはどこの世界にもある。もちろん迷信であるが、それこそが古代と中世を区分した意識の始まりなのである。古代なら、シャーマニズムは科学であり、魔女や魔物は実在し、そう信じて当然。それがあるとき(キリスト教社会ならそれはイスラーム世界からの侵略によって目覚める)、農業と牧畜が登場し、生活が安定し始めると古代の迷信がプリント化(成文教義)され、権威付けられた新しい宗教によって、それまでの円世界が意識統一を受けるようになる。それが今につながる方形社会ともいうべきものだから四角四面のものなのは仕方がなく、日本の古墳が円と方形の組み合わせであることに通じる。それはまだ歴史上人間文明の過渡期の形状である。

ルールが生まれ、法が生まれ、宗教が政治から離れると、政治王によって統治と侵略、国土拡大、拡充に切り替わった。侵略に明け暮れる政治王の不在の間を、宗教王が代理することが多くなる。すると円の中身は、どんどんうさんくさく、抹香くさい、杓子定規なものになりかねない。白河上皇が源平にとってうっとうしかったように。王が実利を追う王であるに対して、宗教王は権威を追い、結果、自分の信ずる信仰を護ることにまい進。するとすぐに差別である。異教徒や言うことを聞かぬものどもはすべて悪魔・魔女へ。


民衆は宗教王には従わねばならず、身の回りにある異教徒を告発しはじめる。ちくりである。古い社会でちくりは唯一の保身ノウハウだった。北朝鮮を見ればわかろう。

自分とは違うから排他的になってどんどん告発。ひっつかまえて殺していったら、ばかじゃないから、あるときまた気付く。こんなことしていると肝心の女たちがいなくなり、子供がいなくなる。

これが近代への切り替わりである。


しかるに魔女の姿も変わり、役目も変わっていったのだった。

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