ホトホト、コトコト

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岡山県新見市など広く中国地方
正月14日
わらで編んだ馬に福俵を積み穴の開いた銭を挿す銭さしを持って、厄年の子供らが家々を回る。まるでハローウィンのような祭。縁側で「ホトホト」とか「コトコト」という擬音を出し※おとなう。馬や銭指しは置いて隠れて家人が出てくるのを待つ。家人は音を聞くと馬や銭さしと引き換えに大豆や餅をくれる。来訪する神(子供が魔物、怨霊、死霊でもある。西洋でも子供は子鬼であると言われ、ハロウィンではおかしをもらえる。まったく共通した世界的通念である。つまり童子は日常の外のモノだという考え。聖徳太子や八幡神がやはり童子姿だったりする。あるいは翁=老人だったりするのも同じ。)

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ことことは本来擬音である。音で訪問を知らせるというのが、神のやり方なのだろう。確かに外で見知らぬ音がすれば誰でも不気味だし、多くの場合来るのは災厄をもたらす鬼であろうが、ここでは逆に可愛い童たちで、訪問神である。東北のなまはげとはまったく逆の、より原初的な祭りだろう。鬼が悪い子供を捜して歩き、説教するというなまはげは、子供が常人で、鬼は大人だから、むしろ古い祭祀方程式に反した祭りだと言えるか?いずれにせよ子供も家人もともに厄が払われるという。最後に水をざばっとかけて神も厄払いされてしまう。さぶっ!!風邪ひくなよ~~

ことこと・ほとほと副義
一 木製の物が、何かに当たったり打たれたりして立てる音を表す語。ことこと。 「 樻のうちにものの-としけるがあやしさに/大鏡 兼通」 「戸を-と叩く者あり/慨世士伝 逍遥」
二 中国地方で、小正月の晩に若者や子供たちが「ほとほと」と唱えて家々を訪問し、餅や祝儀をもらう行事。ことこと。ごりごり。(コトバンク「ほとほと」)https://kotobank.jp/word/%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%81%BB%E3%81%A8-631026
 
※おとなう・訪なう・音なう
1 来訪を告げる。訪れる。
「『ハンスルが家はここなりや』と―・えば」〈鴎外・うたかたの記〉
2 音を立てる。
「木の葉に埋もるる懸樋(かけひ)の雫ならでは、露―・ふものなし」〈徒然・一一〉
3 便りをする。手紙を出す。
「まことに心憂しとおぼえいりて―・ひ給はぬを」〈夜の寝覚・二〉
コトバンク「おとなう(ふ)」https://kotobank.jp/word/%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%86-453476






かせどり
加勢鳥




山形県上山市
小正月
蓑笠で訪問神となって子供らが家々を巡る。ざぶんと水をかけて厄払いする。
この神は年の実とか年玉といわれる餅を配る。新年を象徴する玉だそうだが、ようするに記紀大物主神話・三輪神話にある「幸魂」であろうか?子孫、子宝とも言えるか?それは古代では祖霊が持ってくるとされていて、カラスが祖霊で、魂を持ってくるのだとか、古墳の頂上に祖霊は寄り付いて新しい命が生まれるとも信じられていた。

祖霊も来訪する神であり、神から授かる次の魂を正月に持ってくるとされていた。それはやはり季節風とともにやってくるので、この場合、冬将軍とも言われるシベリア高気圧の寒風だろう。



蘇民将来

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全国
これは有名なので説明不要。
『日本書紀』スサノヲ神話に、スサノヲが高天原を追われたときに、雨が降ったので青草を束ねて蓑笠とし、神々に宿を請うて回った。ところが神々はこれを拒む。それ以来、人々も蓑笠姿で家内に入れることをタブーとした。これを犯せば必ず解除=はらえをおわせる、それが太古から残された風習なのだと。

『枕草子』にも蓑着て笠着て来るものは鬼」とある。

蓑笠にした青草とは要するに茅=ちがやである。青々として手も切るほど鋭利で、生命力の象徴ゆえに神社では大晦日に茅の輪くぐりを執り行い、一年の厄やケガレを払う。

この『日本書紀』記述が全国に広まると、スサノヲではなくなぜか蘇民将来兄弟のヤドカリ行事になり、やってくる神も武塔の神といわれだした。庶民が天上界の神であるスサノヲに忖度したか?
祟りが怖いし。どっちにしても宿を貸さなかったほうには疫病や洪水がのしかかり、片方は幸福になったという、まあ、仏教的説話に変化してしまったのが蘇民将来である。神仏混交の神社やお寺でよく蘇民将来のお札や、木地師の彫った木彫りの八角形の置物を見る。多くが修験道の守護神で、彼らの漂泊する被差別者である。修験者は仏門に入れない存在の人々がなるケースが多い。

『備後国風土記』疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)」)に武塔神が初見できる。武塔は調べなおすと朝鮮の臺である台形壇であるムータンの日本語なまりだとあった。修験道の始まりを新羅の花郎イケ面武闘集団に求める説もあり、仏教の弁慶のような、仕事につけぬ身分のものたちが、独自で武士などにガードマン的に雇われたリガあったのかも知れない。いずれにせよ無頼、遊興、テキヤ、やくざ、遊び人になるよりは、まずは官憲の目をかわすには信仰は都合がよい。

一般にこれらの奇天烈民間祭祀の数々を民俗誌では「大歳の客」などと言っている。
だいたい除夜から元日朝に行われることが多い。
宿借り話にはバリエーションが多く、乞食が一夜の宿を借り、朝起きてこないので言ってみると黄金に代わっていたなんていう、貧乏人の希望的話もある。黄金とかお年玉がありがたがられたのは、要するに道教の西=金気で、新年の象徴だろう。ということは北西の戌年の今年などは、まずもっておめでたい絶頂期だとなるのだが?はて、なにもいいことがないのはなぜやねん?申・酉・戌は金気で、いいことあるはずなんだが?サル・キジ・イヌなら桃太郎の子分で、そういえばこれも岡山だったな。岡山の鬼が城遺跡に行くと瀬戸内海が見渡せるが、全体がアカマツで覆われている。アカマツは炭になるから、古代製鉄のために植えられているのだ。つまり鬼が島伝説はここが舞台。そこに黄金があるとされたのは、高句麗だか新羅から製鉄氏族の温羅(うら)が来たからで、それを鬼として退治したのが吉備津彦。つまり桃太郎は吉備津彦。しかしあっちから見たら吉備津彦の方が鬼である。最近、韓国で逃げてきた朝鮮兵隊をつかまえて、やさしく扱い、平和社会のよさを見せたところ、兵隊はおろかさに気付いて投降し、韓国人に帰化したと聞く。ほんとかどうか知らない。まあ、一理ある「太陽政策」説話になっている。あの心の狭い政治社会の韓国で、さてさて、眉につばかな?射殺じゃない?北の情報が欲しいからなんだろう。うまい嘘を作るのも作戦のひとつではあるからね。説話や神話なんか120パーそれだもの。



宿借り儀式
長崎県対馬の旧豆酘(つつ)村 現在の巌原町
葬礼儀式
喪主が葬礼を済ませて家に戻るときの儀式である。
まず玄関口で
「たのみましょう」と叫ぶ。
すると家人は中から
「どうけ~~」と答える。
「一夜の宿を貸してください」
「できません」
「浜の真砂に花が咲いても、二度と帰り足は踏みません」
「そんなら入れ」
で、喪主は家に入れる。

その心は、葬式帰りの人には、死者の悪霊がとり付いていて、一緒に入ってくるからだという。それを払うのに、こういう儀式がわざわざ行われる。ということは葬式帰りについてきた悪霊がよくない来訪神だからだ。これは本土では塩をまくことで形式化している。同じ意味である。




宮崎県椎葉村にも宿借り神事がある。嶽之枝尾神楽。

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ほかに椎葉神楽の演目にいくつも宿借りが出てくる。
決まって問答する形式である。
対馬の葬礼儀式とは違い、ここでは訪問してきた笠をかぶる神霊を歓待する。こっちは蘇民将来に近い。死霊は結果として天寿をまっとうし、年季の入った死霊なら、村に福をもたらす結果になっている。

これらはいわゆる日本人の祖霊思慕、祖霊=不老長寿=村人の永遠の生まれ変わり願望が見え隠れする。これを民俗誌では「生まれ清まる」と言う。ヨミガエリである。黄泉の国から戻ることで、それがイコール、子孫が生まれて続く血縁の円環=不老不死だった。

神楽の多くはそもそも11月霜月が多かった。理由は日照時間が短くなる、太陽が弱まる時期だから、というのと、冬の季節風がもっとも強いからという理由とがある。後者なら炭焼きやたたら製鉄と同じである。阿蘇霜宮神社の霜月の祭りの「火焚き神事」は巫女が11月になると霜を監視し、祭りでは火を焚いて霜を溶かすという祭りだが、どれにしたって冬至も冬も、厳しく寒い。



生命力が弱まる時期に、そうした汗をかく神事をするのは合理的である。冬至を祭る風習は中国では文献にまったくない。日本の延喜式祭事にもないので、多くが民間農民でのオコナイだったのだと思う。阿蘇神社霜宮はそれを管理する側が執り行う珍しい例だろうが、実際の神事はなはり農民ということだろう。なにしろ阿蘇は寒い。



世界で、祖霊は古い金官信仰の祭る対象となっている。古墳時代もそうである。それ以前は、死者の肉体が永遠に存在して、やがて冬至の頃など、それが戻って「ヨミガエル」のでミイラにしたり、墓に朱や水銀を塗って防腐しようとしている。しかしそれが無駄だと気がつくと、それなら霊魂は帰らないのだ=不老不死は不可能だとなるわけだ。そこで、ならばひとりひとりがつなげばよいじゃないかとなったのだろう。ひとりが死ねば息子がそれを継ぎ、子々孫々ひきつぐことこそが一家の不老不死ではないかと考えるようになった。そこで神事は姿を変えていったのだろう。しかし大元は縄文時代から続く祖霊円環思想で今に伝わっていると言える。家族墓はそういうものを形にした墓碑である。それが最近は個人の墓になってきた。金もかかるし土地も少ない日本では、実に不合理な考えである。大金持ちの着想である。次男三男が家の墓に入れてもらえない時代になって、どんどん日本人は墓は個人的なゴージャス化するが、その分、寺の葬儀はどんどん減っている。坊主が自分で自分の首をしめているのがおかしくってたまらない。三流仏教大学通信講座で二年でもらえる坊主免許と、わずかの修行体験しかない、社会生活に縁遠い彼らに得を期待する時代でもなくなった。そう、この私も三流仏教大学を出た、古い神宮寺僧侶の子孫である。坊主になろうという大学生が酒ばっかり呑んでいたことを見てきた。愚痴ばっかり言っていた。ろくなもんじゃないなと思ったね。得のある高僧なんてのは奈良・京都にもおらず高野山にしか今やおらんのかも知れないな。

というと死んだ親父(種智院旧制東寺中学卒)は「同級の友達の高僧は昔は全員酒ばっかり呑む、悪さはする、仏像にしょんべんかけるようなしょうがねえやつらだったがなあ、それでも管長や大僧正でふんぞりかえってるぞ」

「そりゃそうと、おまえハワイに行って随身院別院の坊主にならんか?毎日トーストとコーヒーと目玉焼き生活できるデ」と言うのであった。


信仰なんかないほうが戦争や争いは起こらない。イスラム、イスラエルを見よ。共産主義だろうと政治的にもそうだ。あまりひとつことを信じたら、犯罪者になりかねない。オウムを見よ、なのだ。わかりますか?のめりこんだらおしまいよ。