●かぎ引き神事
三重県伊勢地方北西部~伊賀地方
念頭に世界中の宝を数え上げて、それ全部を村に引き寄せてしまおうという祭。
この枝を掻きとって、かぎ状にし、山の神を祭る場所で行う。
山の神のいる森の木の枝や、祠の注連縄に枝を引っ掛けて唱和しつつ引っ張る。
宝を引き寄せる神事はほかに「翁の宝数え」などもあり、これは引き寄せた宝を舟に載せようというもの。

木の枝の二股になったのを先っぽにしたのは、いわば杖で、木の股神がそこにいるからであり、ところによってはそれがクワだったりもする。いずれにせよ木の枝や二股に、往古の人々はなにがしかの力を観ていたようだ。






●ヤマドッサン



淡路島
おもての間の柱にクワをたてかけ、そのクワには神が依り付いていると信じている。だからクワの柄の最上段部分には、神の化身である蓑笠をかけてある。


神とはつまり依り来る来訪神なわけで、つまり祖霊である。
それが蓑笠を着ているのは、神が旅する存在だからだ。

蘇民将来も来訪神だが、人に宿を借りようとして試す。これを宿泊させないと災いが来るが、泊めてやれば災いを避けられる。これを「むとうの神」とも言う。

現実生活で考えるなら、その来訪する神とは、要するに放浪する漂泊者なのであり、当然、被差別民である。だからゆえに漂泊民は、神の道具である蓑笠や籠や注連縄や箒を作るのである。それは言い換えれば、彼らがそれによってしか生きることを許されぬという、まあ、無職の言い訳でもあろうか。となれば彼らが神の代理人を自称した理由もそこにある。究極的な逃げの一手である。

江戸期の伊勢参りや、ええじゃないかのような、神への訪問を言い訳にした無礼講も、結局そういうことであろう。神事であるなら、誰も手出しはできなかったのだ。



このように奇祭には、多かれ少なかれ、埒外の無職徒労の逃亡人たちの、為政者に有無を言わせぬレジスタンスであることが多い。その神事は無形のアジールだったわけである。