テレビがよく世界の少数民族、少数部族の生活を紹介する。それをこれまで見てきて、ふと、なぜ彼らが、どの世界でも、みな一様にきらびやかなハレの衣装を日常的に着用しているのかの理由が知りたくなることはないだろうか?

ネットで彼らの服飾関係の考察を調べてみるが、なかなかその理由まで奥深く掘り詰めているサイトが少ない。作業着のほうが汚れや機能性が高かろうに、彼らは(特に女性が多く、男性は既成のワーク・クローズ(紺色の人民服など)であることが多いようだ)農作業ででもちゃんとハレギのままで作業している。実に不思議だし、どうにも非実用的に見えてしまうのは、われわれ文明人が既製服に長く慣れ親しんできたせいだろうか?

確かに文明国でも、かつてはハレの日の着物を着ていたかも知れない。そしてやがて国家が完成して、過酷な労働を庸調として課すようになると、自然に汚れてもいい既製服に変化したのかも知れない。そう考えたら単純でわかりやすい。けれど、どうもそれだけでもなさそうである。


和服には晴れ着と日常着がちゃんと分かれて存在するではないか。北欧では日常は既製服で、祭りのときだけ民族衣装でフォークダンスする。日本人はお出かけ用の外出着・晴れ着と、仕事用の背広やスーツと、祭日の日常着、さらに庭仕事用の作業着までを細かく着分ける。少数民族はまるで毎日がハレの日だと考えているのだろうか?


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考え付くことは、正反対の二つがある。
中国の少数民族は国家による手厚い庇護を受けているために、少数民族の日常は観光化されてしまったからだ・・・。まずこれがひとつ。ところが、現代の彼らはその国家による日常服の強制を受け始めているらしいし、彼ら自体も、それ以前から、かれら自身による大量生産を行って、見た目はわからくても素材によしあしをつけてはいるようである。

もうひとつは、民族・部族を区別しやすくして特徴的デザインを持ち始めたことがある。これは、彼らの先祖が新しい強力な武器や文化をもつ新参文明から排除され、四散したときに、山間の僻地に三々五々移り住み、没個性的な隠棲生活に入ると同時に、衣装だけはかつての華やかなりし頃の栄華を忘れまいとしてきたという考え方もできるだろう。しかし、多数の民族集合体であった長江文明の末裔は、四散すると大変な部族数だった。日本の邪馬台国を中心とした小国家もやはり連合、集合体であったわけで、中国少数民族と倭人は似ていると思える。文化的にも同じモンスーン文化、照葉樹林帯文化で、亜熱帯・温帯の湿潤、夏雨地帯で、稲作文化圏で基本はよく似ている。だから参考にするには最適なのが中国のミャオなどの少数民族である。


敗北、四散して山間僻地に隠れ住むという流れでもおそらく、日本の倭人も同じことをしてきただろう。その証拠品は高床式掘っ立て建造物や棚田での稲作ではなかったか。また彼らが共通して過去の栄光ある王族や武家の末裔を名乗り、きらびやかな風俗をやめないところも似る。

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アフリカの多民族国家でも、あざやかな民族衣装を日常的に着ているし、アイヌの衣装もデザインはかなり派手である。インディアンもかつてそうだった(彼らはしかし体に直接ペイントしたり刺青する部族もあった)。そしてその民族衣装のデザインのすべてが身近の動物や植物をモチーフにしたデフォルメ、幾何学模様でできており、遠くからでも色使いやデザインで識別できるようにしている。それはつまりよそものが見てもわかるということであろう。

隠棲する=自分たちを識別可能にする。

まったく相反する観念であるが、彼らの中ではそれは矛盾しない同一行為なのである。


侵略、侵害、侵入者への、究極の警告と識別である。

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ガラガラヘビは派手である。
なぜなら、同様に、天敵に自らが毒をもつ危険な生物であることを教えるためである。そうすることで、無駄な危険と争いを避けている。同時にその絵柄は草や樹木の中では保護色となってもいる。ニュアンスはやや違っても、非常に少数民族の衣装に近いところがある。


ある部族は、ハレギの上から紺色の作業着をはおって作業する。そういう部族もあるが、そうではない部族のほうが多い。

最大の理由を知るには、保護以前からそうだったかまで調べる必要があり、定かではない。保護と安定と観光化は確かに彼らをそうさせるに充分だっただろう。しかし保護以前からそうであったのでなければ、若年層まで民族衣装の日常が浸透するだろうか?普通なら、ほかの文明人のように、ある歴史上の政治的きっかけで、衣装も変化せねばならない。しかし中国政府のお仕着せの既製服政策を無視してまで、彼らはいまだに美しい民族衣装で堂々と農作業している。汚れるのを畏れていない。そのために大量生産した衣装も用意した。けれどやはりそれらも華麗なデザインは変わりない。


細かいステッチではなくとも、おおむね見た目に差がない。近づかねば、それはわれわれにはわからない。刺繍や服飾にしろうとでは、近づいてもわからないだろう。


古代、海洋民族やアイヌやインディアンやアボリジニやボルネオの未開人たちは、体に魔除けの刺青をした。鯨面文身は、魔除けと同時に、部族を見分ける意匠でもあった。民族衣装もまったく同じ意味を持つのである。部族を明確にすることが最大の軋轢や摩擦の防御となったのだろう。




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押入れの中に、亡き母親がコレクションしていた敷物の数々を見つけて、そんなことをふと考えた昨日であった。外国産、国産のそれらのデザインや色使いには、産地地元の歴史が刻まれていて、そこにもおそらく悲喜こもごもの歴史背景があるのだろう。久留米がすりの生まれた背景にも、高橋おでんの祖先から受け継いできた何かの悲しみの歴史があったはずである。デザインや織物からでも、人々の栄華盛衰は読み取れるのだ。そこには幾何学模様を数値。数式に置き換えてみても見えてはこない、人類の悲しき主観性が存在する。無機質な科学分析の裏に、そういうことを発見するのが歴史や哲学の本懐がある。それに気づかぬものはフランケンシュタインになりかねない。中国でそれを蚩尤と呼んだ。そして中国少数民族たちはおしなべて自らを「蚩尤の子孫」だと言い、過去の何も知らなかった祖先の栄耀栄華を反省している。




心のない数学では人間はわからない。