本日2月3日は節分。
明日四日は立春。
そして五日が旧正月であるそうな。

はて、節分って何?
「せつぶん」の「せつ」は季節。節目。「おせち」と同じ。
要するに正月と節分は同じ。この期間は、立春の春が来るまでの「節句」期間である。

その意味は「冬」。
古代、世界の糟糠民族にとって冬とは主食である穀物を栽培しない唯一の休耕期間である(小麦は日本では秋に種をまいて、冬の間に生育させるが、地域によって、多くは稲と同じ春撒きで秋収穫するところが多い。乾燥を好む麦は、西日本~東日本では冬季栽培が最適)。

つまりこの期間はイネや小麦にとって「死」「夜」の期間だった。だから静かに精進潔斎する。

長い冬が終わり、いよいよ春が来るぞと穀魂を出迎えるのが立春。だからまず種を撒く擬似祭事として節分に豆を撒いてきた。これは北欧ではナッツ、ビーンズをやはり家中に撒く習慣があることは過去、ここの「もうひとつのクリスマス」関連で記事にしたのを読まれた人ならおわかりと思う。

「もうひとつのクリスマス・豆まきと猫たたき」民族学伝承ひろいあげ辞典


豆をまいて邪を払う。なぜ節分に鬼が出る?
季節の変わり目には季節風が強く吹く。方角は?
日本等のモンスーン気候の地域では風は西から東。正確には北西から東南に吹く。これが立春から春分までに吹けば「春一番」などと呼ばれている。北西は実は神道では鬼門である。戌亥の風である。「あなし」とも呼ばれた。「あな!」と驚くほどの強「師 し」=風である。これが実は魔物。鬼なのである。それでこれがあまり吹かぬように豆をまいた。実りは往古から福で、そもそもは吹く風でもあった。風が吹けば春が来て、田植えが始まるから福の神でもあるが、激しすぎれば鬼である。神と鬼は表裏一体。すなわち自然の驚異だから。それで「福の神ならうちに、鬼なら外へ」と同時に唱えるのだ。


別に豆でなくてもよい。種なら。しかし豆ならあとで食べることができて子供も喜ぶ。いつしか豆は大豆に特化していった。大豆は主食にもなるので、稲や小麦に匹敵する五穀である。しかも投げて当てれば鬼は痛い。これが米や小麦では痛くない。第一、穀物を一番の大事にしてきた農作民族にとって、米や小麦を投げるなぞは不遜だし、餅を的にして稲魂が白鳥に変身して逃げ去るとかの、痛い目にあった伝承もあるほどだ。豆も五穀だが、イネよりも栽培は簡単で、すぐに芽が出る。


ならばなぜ豆を畑に植えるのではなく、投げるのか?冬場に植えても豆は育たない。


節分に縁起のいい食べ物
これは昔からだいたい決まっている。
まずは全国的にイワシ。ひいらぎのとげとげと一緒に軒先につるしておいたのを、食べるようになった。なにより匂いが魔物をよける。

あとは地域によって、こんにゃく、そば、けんちん汁、くじら・・・。
だいたいは季節の変わり目なので、健康的なものが多い。

恵方まき・・・これは関西のさほど古くない風習だが、それを広めたのはすし屋とか惣菜屋らしい。おかげで昨今は、残って捨てられる量が多すぎて予約受注になってきた。頼まれたら作ればいいのだ。しかもこういうことにたいした意味もない。縁起物とおみやげには、ご利益はあるはずがない。主観的な日本人ならではのことである。


筆者のおすすめはこの時期が一番栄養価が高くてうまいカキなどの貝類である。そこで昨夜はさっそくカキの土手鍋を食した。それはKawakatuワールドであとでご紹介したい。うまいよ。
今夜は大羽イワシの干物で一献の予定である。

中国の春節も日本の旧正月も五日である。筆者が小さい頃・・・昭和30年代まではどこの家でも手延べの餅を切って、天日に干す「かきもち」を食べていた。いつしか高度成長期と共に旧正月は日本では祝う風習がなくなった。忙しいからか?どちらかひとつでいいという合理性のせいか?しかしカキ餅やあられを炭火で焼いて、おやつにしていた頃が懐かしい。けっこううまかった。

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