12日、哲学者梅原猛が死去した。
人間である限り、いいところと悪いところがどうしてもあるが、
よかったところ・・・科学・経済主導型の近代思想の多くに対して、「別の視点」を、日本人では最初に言い始め、権威主義の京都的自然科学や社会科学、『日本書紀』至上主義的日本史史観への逆説的な反論を試みたところであり、
悪いところは、いいところの宣伝が利きすぎて、マスコミを巻き込み、主観性の強い、専門外の民衆大向こうを魅惑しすぎてしまったところ。


丸山真男ら、時代の権威を批判したのはよかったが、それによって彼自身が権威となってしまうことを、自ら自己批判せずに死んでしまったのは残念。

90歳になっても、変わらず京都の街を歩き続け、隅々まで、あらゆる町並みや神社仏閣にマーキング(自分のにおいをひっかけて自己主張)していった。おかがで京都は梅原臭い街になったと悪態をつくものもいることだろうが、健脚だった。ただ、なぜか晩年、晴明神社に行かず、戻り橋の真ん中で後戻りするという奇妙な性癖があったらしく、それが晴明、非科学、神秘主義へのアンチテーゼだったのか、単に老いてから、晴明の呪力を畏れてのことだったのか、不明である。


筆者は彼の作品を好まず、一切、読まずに済ませている。権威が嫌いだからだ。


すかんわがままおじんやった。
ただし、その後の逆説的な古代史諸論を生むきっかけを作ったパイオニアとしては認めざるを得まい存在であった。93歳。権威も天才も、いずれは死ぬことはわかった。梅原理論に呪縛されずに済んだことを自分的には喜ばしく、誇らしく思っている。


合掌。
お墓には直弧文を貼り付けて、よみがえらぬことを願う。