民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

春の筆者は行動的になる。
リハビリ近くのバス停で。

火の君のあとに熊本中央部を牛耳ったのが阿蘇氏である。阿蘇氏と火の君は神武から生まれた兄弟とされる。その意味はなにか?阿蘇氏と多氏の関係は?これからのかわかつワールドの、もうひとつの宿題。 ...

熊本県宇土市、氷川の岸辺にある鴨分の古墳?鴨籠古墳の石棺には江田船山など筑後地方に近い有明北部八女周辺とおなじ直弧紋が刻まれている。これはなにを象ったデザインだろうか?松本清張は鏡を割っ ...

美しきピンク。母の愛がそこにある。二人は並んで埋葬されていた。守屋との勢力争いで竹田はあえなく矢に倒れたのだろうか?「かしぎや姫と竹田皇子のなきがらを大野の御廟に移し奉る」日本書紀は簡単 ...

『大王家の柩』(私家所蔵本)よりたてが年代。上から順に新しい年代へ。ピンク石が集中するのは河内、大和、摂津で、それは継体大王以降。推古と竹田皇子の植山古墳だけが奈良時代となる。なぜ推古は ...

『大王のひつぎ海をゆく』および『大王家の柩』より(いずれも私家所蔵本) ...

読売新聞西部本部大王のひつぎ実験航海実行委員会編『大王のひつぎ海をゆく 謎に挑んだ古代船』より転写。 ...

「播磨は「石棺の国」といわれるが、東部の加古川河口域には阿蘇ピンク石の時期を除いて「大王家のひつぎ」となった竜山石(たつやまいし)の産地があり、竜山石石棺があふれているからだ。・・・牛窓をふくめ西の吉備には竜山石棺が多くはいっているのに、ここ(兵庫県たつ ...

「牛窓は古代からの津、そして船大工の町として有名だ。岡山県瀬戸市牛窓町。そこから多くの人が「木山働き」九州と往来した。 和船造りでまず重要なのは船材木の吟味。日向(宮崎)や肥後(熊本)の山にそれに最適の木があった。 「日向弁甲(べんこう)」といわれる杉だ ...

鞆の浦は広島県福山市にある小さな湾である。ここには江戸時代の朝鮮通信使の定宿だった「対潮楼」があった。対朝鮮交易の上で、重要な港だった。鞆鍛冶は「兵庫とともに船釘のおおきな産地であった」(宮本常吉)今でも鞆は船釘、いかりの特産地である。ここの釘こそが「大 ...

熱田津に船乗りせんと月待てば 潮もかないぬいまはこぎいでな 額田王四国・松山にこの歌碑は建っている。熱田津とは瀬戸内に面する越智水軍のふるさと、愛媛県松山の津のどこかであるとされている。このは歌は、実在の女帝・斉明の新羅征伐への出発を歌ったものである。ゆ ...

実際にあった?新羅と熊襲連合「潮みなぎる海。早鞆(はやとも)の瀬戸(関門海峡の穴門側)はとうとうと流れ、海峡を圧するようにあらわれた巨大なタンカーでさえ、あえぐように潮流に立ち向かう。」──【関門海峡と言えば壇ノ浦の合戦で、義経が八艘飛びをしたことで有名 ...

かわかつワールドに「阿蘇紀行」を連載中です!http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/平常のリンクは左側の「お気に入りブログ」から「マイサイト」から。あるいはトップページに戻って一番下にお気に入り更新記事一覧があります。トップページへはこのページ最上段にあ ...

ブログ”40過ぎてCPかよ!?”をやめちゃいましたので、かわりに新しく”かわかっちゃんのささいな大遭難”http://red.ap.teacup.com/himajin0198/という日々雑感ブログを始めます。コメントやトラバは受け付けず、代わりに専用掲示板を併設しております。 http://8516.t ...

摂津、河内、大和、近江のわずか12人の墳墓にのみ使われた阿蘇ピンク石。2004年にこの特殊な阿蘇凝灰岩の産地である熊本県宇土の港から、古代そのままに人力の古代船で大阪まで、この石を運ぶ実験が行われ、古代のルートどおり、有明海を出て、東シナ海を北上して松浦 ...

8/22の「鳥の名をもつ王」でふれた日本最大の古墳、仁徳天皇陵は、百舌鳥耳原中陵(もずみみはら-の-なかのみささぎ)とも呼ばれる。「モズ耳原」の言われについては、日本書紀に説明がある。その概略は、御陵の造成のとき、突然どこからか耳の裂けた鹿が現れ、急に気を失っ ...

白水郎 あま「彼の白水郎は、馬・牛に富めり。(中略)此の嶋の白水郎は、容貌、隼人に似て、恆に騎射(つねにうまゆみ)を好み、其の言語は俗人(くにひと)に異なり。」『肥前国風土記』松浦郡値嘉(ちか)郷の条松浦郡値嘉とは五島列島の中の島のこと。五島の海人族白水 ...

さおしか(佐乎志加)とは牡鹿のこと。「祓戸のヤオロズの御神達は佐乎志加の御耳を振立て聞食せと申」『中臣祭文』「アシヒキの 此の傍山(かたやま)に 牡鹿(さおしか)の角挙げて 吾が舞いすれば 旨酒 餌香の市に 直以て買はぬ」日本書紀 顕宗天皇即位前紀「松村 ...

ミミは御霊から。人体の耳も同じ。音、声には神霊が宿るという信仰。「耳は御霊、つまり霊の宿る所であり、始原的には、人間にとって耳で聞くことが、霊威を感じ、最も基本的な神意を判断する行為であるとの観念があった。不老長生の象徴であると角とともに、わが身をまもる ...

モズ 百舌鳥 百舌 小型の鳥類。秋、生きたトカゲや昆虫などをエサとし、時としてそれらを木の枝に突き刺す習性が有名。これを「はやにえ」(速贄)と言い、人間の生け贄習慣に擬人化する。この贄の習性が地名となったのが大阪府堺市の百舌鳥や茨木市耳原毛受野。南海電車 ...

日本書紀 仁徳天皇67年10月「河内の石津原(いしづはら)に幸まして、陵地(みささぎのところ)を定めたまふ。丁酉(ひのととり)に、始めて陵(みささぎ)を築く。是の日に、鹿(か)有りて、忽ち(たちまち)に野の中より起こりて、走りて役民(えのたみ)の中に入り ...

<a href="http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/">「かわかつワールド」</a><a href="http://orange.ap.teacup.com/tasogaresakaba/">「全訳古事記」</a><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html">「民族学伝承ひろいあげ辞典」</a><a href=" ...

アシナヅチ・テナヅチは、日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神である。古事記では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』は脚摩乳・手摩乳と表記する。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%85%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%8A%E ...

続日本紀巻第四に四十三代元明女帝が和同元年十月十一日(708)土師氏の本居であった「大和菅原の地に平城宮を営むに当たり、造平城宮司に勅すらく、若し彼のところに墳隴の発き掘らるるものあらば見るに随い即に埋め斂めて露し棄てしむること勿れ。普に祭ライを加えて以て ...

鬼ワタリ神社のご神体を見せてもらった時、 オシラサマであった、とはならないか、そういうところもひとつはあるか、 二つの石ころだった、ともなる可能施性はある。 大きい方が、男神で、小さい方が女神だ。 男神は太陽である。 では、女神は、月か、それは、何も生ま ...

橋姫鳥山石燕『今昔画図続百鬼』橋姫(はしひめ)は、橋を守る女神。特に宇治橋のたもとの橋姫神社に祀られている「宇治の橋姫」を指す。 『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。巻名は、宇治に住まう二人の愛らしい姫君のことを指す。後述。 嵯峨天皇の代(786年-842年)、夫 ...

[https://blog.with2.net/in.php?686171/ With2ブログランキングへ] 球磨村は、熊本県の南部、球磨郡の最も西に位置しています。東を人吉市及び山江村、西を葦北郡芦北町、南は水俣市及び鹿児島県大口市、北は八代市坂本町に接する東西13km、南北25km、総面積207.7 ...

欽明のあとの敏達からですが、敏達系天皇である舒明は大和の広瀬というところを宮としています。この広瀬郡百済という場所は敏達が河内の錦部郡百済に造営した百済大井宮の相似形とも言えるようです。大和の百済は百済川のほとりとされていますね。そしてここを開発していた ...

現代の私たちは、高志(こし。越、古志とも)国と聞くとその範囲がせいぜい、今の越前越後程度で、富山県、新潟県が平安時代以降、「えつ」と呼ばれたから、なるほど「えつ」が「こし」になったんだと納得し、その範囲から観念的に出られないで古代史を考えてしまいがちであ ...

「苗族のあいだに、こ臓節(こぞうせつ、「こ」は牛に古と書く)とよばれる牛殺しの祭りがつたえられている。(中略)費用がかさむために三年、五年、七年、九年、十一年、十三年などに一回挙行される。ところによっては三十年に一回という地方もある。一般には旧暦の九月下 ...

↑このページのトップヘ